大奥
江戸時代の日本の江戸城に存在した将軍家の子女、正室、奥女中たちの居所、あるいは当時の大大名家の奥向のこと / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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大奥(おおおく)は、江戸城に存在した将軍家の御台所・子女・側室・奥女中(御殿女中)が男性では将軍を主体とした「将軍家の血筋を守り繋げるため」原則男子禁制であり、将軍の家族いわゆる夫人やその世子及び子女と生活のお手伝いをする奥女中の住まう奥向きの御殿や居所。一概に言えば将軍家の後宮と同義の意味である。
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併せて、将軍以外の男性では特例で御典医のみ健康管理のために大奥への立ち入りを許された。その他の男性は全て大奥の出入り口の一つ・七つ口から立入厳禁となる[1]。一般に大奥という表現は狭い意味では江戸城本丸大奥のみを指すが、広い意味では西丸大奥・二丸大奥も含む[2]。江戸時代の大名家でも家によっては奥向を大奥と呼んでいた[注釈 1][3]。
本項では、江戸城大奥について述べる。