大映京都撮影所
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大映京都撮影所(だいえいきょうとうさつえいじょ)は、かつて存在した日本の映画スタジオである。1927年(昭和2年)に日本活動写真が「日活太秦撮影所」として開所した[1]。1942年(昭和17年)の戦時統合で設立された大日本映画製作株式会社(のちの大映、現在の角川映画)のもと、同名称となった[1]。
概要 種類, 市場情報 ...
種類 | 事業場 |
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市場情報 | 消滅 |
略称 | 大映京都 |
本社所在地 |
日本 〒616-8167 京都府葛野郡太秦村多藪町 (現在の同府京都市右京区太秦多藪町)[1] |
設立 |
1927年 日活太秦撮影所 1942年 大映京都撮影所 |
業種 | サービス業 |
事業内容 | 映画の製作 |
主要株主 | 大映 |
関係する人物 |
永田雅一 黒澤明 溝口健二 衣笠貞之助 伊藤大輔 三隅研次 市川雷蔵 |
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1971年(昭和46年)12月の同社の倒産後[1]、1974年(昭和49年)に同社が徳間書店傘下になることで再建、同撮影所は分社化され、株式会社大映映画京都撮影所(-だいえいえいがきょうとさつえいじょ)となり[1]、1986年(昭和61年)4月には完全に閉鎖された[1]。