太極宮ウィキペディア フリーな encyclopedia ウェブサイトの「大極宮」とは異なります。 太極宮(たいきょくきゅう)は、唐の長安城(隋の大興城)の北端中央の宮城内にあった宮殿。隋唐初の100年弱にわたり、ここは皇帝が起居し政務を執る都城の中枢宮殿部だった[1]。663年に唐の高宗が大明宮へ朝政を移すと政治の中心としての機能は失われていったが、唐代を通じて王権儀礼で中心的役割を果たし続けた[2]。大明宮、興慶宮と共に長安の“三大内”を成し、西内とも呼ばれた。 唐代の長安城の北端中央部。赤い区域は皇帝・皇族が住んだ「宮城」、青い区域は官庁街「皇城」
ウェブサイトの「大極宮」とは異なります。 太極宮(たいきょくきゅう)は、唐の長安城(隋の大興城)の北端中央の宮城内にあった宮殿。隋唐初の100年弱にわたり、ここは皇帝が起居し政務を執る都城の中枢宮殿部だった[1]。663年に唐の高宗が大明宮へ朝政を移すと政治の中心としての機能は失われていったが、唐代を通じて王権儀礼で中心的役割を果たし続けた[2]。大明宮、興慶宮と共に長安の“三大内”を成し、西内とも呼ばれた。 唐代の長安城の北端中央部。赤い区域は皇帝・皇族が住んだ「宮城」、青い区域は官庁街「皇城」