安島帯刀
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安島 帯刀(あじま たてわき)は、幕末に活躍した水戸藩の家老。安政の大獄で切腹を命じられた。維新後、靖国神社・護国神社・回天神社に合祀された[1]。諱は信立(のぶたつ)。
概要 凡例安島 帯刀, 時代 ...
安島帯刀の自画像 | |
時代 | 江戸時代末期(幕末) |
生誕 | 文化8年(1811年) |
死没 | 安政6年8月27日(1859年9月23日) |
改名 | 諱:信立、号:峨興 |
別名 | 通称:弥次郎(旧字体:彌次郞)→帯刀(旧字体:帶刀)、字:恩誠 |
神号 | 神名:安島帯刀信立之命、安島帯刀之命 |
墓所 | 茨城県水戸市 酒門共有墓地 |
官位 | 贈正四位 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川斉昭 |
藩 | 水戸藩家老 |
氏族 | 安島氏 |
父母 |
父:戸田三右衛門忠之、母:安島七郎左衛門信可の女 養父:安島彦之允信順 |
兄弟 | 戸田忠太夫、姉(里見四郎左衛門親長室)、帯刀 |
妻 | 久米新七郎長重の娘 |
子 | 立子、道子、信義、知正 |
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父は戸田三右衛門忠之、母は安島七郎左衛門信可の女。養父は安島彦之允信順。