富士川の戦い
1180年に日本の駿河国富士川で発生した戦役 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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富士川の戦い(ふじかわのたたかい)は、平安時代後期の治承4年10月20日(ユリウス暦1180年11月9日、グレゴリオ暦16日)に駿河国富士川で源頼朝、武田信義と平維盛が戦った合戦である。治承・寿永の乱と呼ばれる一連の戦役の1つである。
概要 富士川の戦い, 交戦勢力 ...
富士川の戦い | |
---|---|
富士川 | |
戦争:治承・寿永の乱 | |
年月日:治承4年(1180年11月9日)文献によって異説あり | |
場所:駿河国大堀川(現・富士市) | |
結果:目立った交戦のないまま平氏の撤退 | |
交戦勢力 | |
源氏 | 平氏 |
指導者・指揮官 | |
源頼朝 武田信義 |
平維盛 |
戦力 | |
40,000騎(玉葉) | 2,000騎(玉葉) |
損害 | |
不明 | 壊走 |
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石橋山の戦いで敗れた源頼朝は安房国で再挙し、進軍しながら東国武士がこれに参集して大軍に膨れ上がり、鎌倉に入る。一方、甲斐国で挙兵した武田信義らは駿河国目代を討ち取った。その両者が駿河国で合流し、都から派遣された平維盛率いる追討軍と戦い勝利し、頼朝は南坂東で、武田信義ら甲斐源氏は甲斐・駿河・遠江での割拠を確立させた。