岡松甕谷
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岡松 甕谷(おかまつ おうこく(子孫は「ようこく」と呼び慣わす[1])、文政3年1月14日(1820年2月27日) - 明治28年(1895年)2月18日)は幕末、明治時代の漢学者。名は辰。字は君盈。通称は辰五、後に伊助。諡号は文靖先生。号は故郷上徳丸村より大野川対岸の百堂村(大分市種具)山麓の谷に由来するという。
概要 人物情報, 生誕 ...
人物情報 | |
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生誕 |
(1820-02-27) 1820年2月27日 日本豊後国 |
死没 | 1895年2月18日(1895-02-18)(74歳) |
子供 | 岡松参太郎(三男・法学者) |
学問 | |
研究分野 | 漢学 |
研究機関 | 華族女学校・文部省・東京大学 |
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帆足万里に漢学を学び、熊本藩や明治政府の下で法制に携わり、晩年は東京大学や府下の中学で教鞭を取った。漢文に巧みなだけでなく、洋学にも心得があり、オランダ語、英語を解した。