岩付城の戦い
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岩付城の戦い(いわつきじょうのたたかい)は、大永5年(1525年)に武蔵岩付城(岩槻城)で行なわれた相模の北条氏綱軍と武蔵の扇谷上杉朝興の家臣・太田資頼の合戦である。
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概要 岩付城の戦い, 交戦勢力 ...
岩付城の戦い | |
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戦争:戦国時代 | |
年月日:大永5年(1525年) | |
場所:武蔵岩槻(現在の埼玉県さいたま市岩槻区太田) | |
結果:北条軍の勝利 | |
交戦勢力 | |
北条軍 | 上杉軍 |
指導者・指揮官 | |
北条氏綱 | 上杉朝興、上杉憲房、太田資頼 |
損害 | |
3000人余[1] | |
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なお、岩付城攻防戦はこの他にも多数あり、永禄7年(1564年)の太田資正時代と、天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原征伐時の2つの攻防戦が有名である。