市川九團次ウィキペディア フリーな encyclopedia 市川 九團次(いちかわ くだんじ)は、歌舞伎役者の名跡。屋号は高島屋。定紋は三升の中に九の字。 初代 市川九團次(九団治) 生没年未詳。四代目市川小團次の門弟。1877年(明治10年)頃から1892年(明治25年)頃にかけて名乗る。 市川米九郎 → 初代市川九團次 二代目 市川九團次 1863年(文久3年)7月-(没年未詳)。初代市川左團次の門弟。1900年(明治33年)から1927年(昭和2年)頃にかけて名乗る。 初代市川莚蔵[1] → 二代目市川九團次 三代目 市川九團次 二代目の養子、1893–1955。二代目市川左團次の門人。生家は京都九条の針工場、実父はのちに京都市会議員の竹内嘉作。 市川九太郎 → 二代目市川莚蔵[2] → 三代目市川九團次 四代目 市川九團次 五代目坂東竹三郎の元芸養子、後に十一代目市川海老蔵(現・十三代目市川團十郎)の門弟、1972– 。 坂東竹志郎 → 四代目坂東薪車 → 市川道行 → 四代目市川九團次[3] 三升の中に九の字
市川 九團次(いちかわ くだんじ)は、歌舞伎役者の名跡。屋号は高島屋。定紋は三升の中に九の字。 初代 市川九團次(九団治) 生没年未詳。四代目市川小團次の門弟。1877年(明治10年)頃から1892年(明治25年)頃にかけて名乗る。 市川米九郎 → 初代市川九團次 二代目 市川九團次 1863年(文久3年)7月-(没年未詳)。初代市川左團次の門弟。1900年(明治33年)から1927年(昭和2年)頃にかけて名乗る。 初代市川莚蔵[1] → 二代目市川九團次 三代目 市川九團次 二代目の養子、1893–1955。二代目市川左團次の門人。生家は京都九条の針工場、実父はのちに京都市会議員の竹内嘉作。 市川九太郎 → 二代目市川莚蔵[2] → 三代目市川九團次 四代目 市川九團次 五代目坂東竹三郎の元芸養子、後に十一代目市川海老蔵(現・十三代目市川團十郎)の門弟、1972– 。 坂東竹志郎 → 四代目坂東薪車 → 市川道行 → 四代目市川九團次[3] 三升の中に九の字