平田東助
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平田 東助(ひらた とうすけ、嘉永2年3月3日(1849年3月26日)- 大正14年(1925年)4月14日)は、日本の武士(米沢藩士)、官僚、政治家。農商務大臣・内務大臣・内大臣を歴任した。山縣有朋の側近として知られる。また、第2次桂内閣において神社合祀を強力に推進した。
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概要 生年月日, 出生地 ...
平田 東助 ひらた とうすけ | |
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生年月日 |
1849年3月26日 嘉永2年3月3日 |
出生地 | 日本 出羽国・米沢藩 |
没年月日 | 大正14年(1925年)4月14日 |
死没地 | 日本 神奈川県・逗子市 |
出身校 |
興譲館 慶應義塾 大学南校 |
前職 | 官僚 |
称号 |
伯爵 勲一等旭日桐花大綬章 |
第6代 内大臣 | |
在任期間 | 1922年9月18日 - 1925年3月30日 |
第22代内務大臣 | |
内閣 | 第2次桂内閣 |
在任期間 | 1908年7月14日 - 1911年8月30日 |
第18代 農商務大臣 | |
内閣 | 第1次桂内閣 |
在任期間 | 1901年6月2日 - 1903年7月17日 |
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出羽国米沢出身。爵位は伯爵。医師の伊東祐順は兄。爵位を継いだ長男の平田栄二(松堂)は日本画家、その次男の松下正治は松下幸之助の娘婿となり松下電器産業会長を務めた。次男の平田昇は海軍中将となった。