後ウマイヤ朝
後ウマイヤ朝のうちカリフ (アミール・アルムーミニーン)を称した期間 (929年~1031年) の呼称 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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後ウマイヤ朝(こうウマイヤちょう、756年 - 1031年)は、イベリア半島に興ったウマイヤ朝の再興王朝。756年から1031年までの24代 (19人)の君主のうち16人がウマイヤ家出身であったため、日本では中国史の用語法を借用して[1]後ウマイヤ朝と通称される[2]。この呼称は日本だけの慣用であり[3]、史料ではアンダルスのウマイヤ朝[4]、コルドバのウマイヤ朝[3][4]などと呼ばれる。カリフ称号を用いた929年から1031年までについては、コルドバ・カリフ国 (Caliphate of Córdoba) 、西カリフ国、西カリフ帝国とも呼ばれる。
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