持統天皇
日本の41代天皇。天武天皇の皇后 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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持統天皇(じとうてんのう、645年〈大化元年〉 - 703年1月13日〈大宝2年12月22日〉)は、日本の第41代天皇(在位:690年2月14日〈持統天皇4年1月1日〉 - 697年8月22日〈持統天皇11年8月1日〉)。天武天皇の皇后(天智天皇の娘、天武天皇の姪にあたる)、のちに持統天皇となり皇室史上3人目の女性天皇[2]となった。
概要 持統天皇, 第41代天皇 ...
持統天皇 | |
---|---|
持統天皇 | |
時代 | 飛鳥時代 |
先代 | 天武天皇 |
次代 | 文武天皇 |
誕生 | 645年[1] |
崩御 | 703年1月13日 |
陵所 | 檜隈大内陵・野口王墓古墳 |
漢風諡号 | 持統天皇 |
和風諡号 |
大倭根子天之廣野日女尊 高天原廣野姫天皇 |
諱 | 鸕野讚良 |
父親 | 天智天皇 |
母親 | 蘇我遠智娘 |
子女 | 草壁皇子 |
皇居 | 飛鳥浄御原宮・藤原宮 |
女帝 | |
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諱は鸕野讚良(うののさらら、うののささら)であり、これは娑羅羅馬飼造が養育したからであると考えられる[3]。和風諡号は2つあり、『続日本紀』の大宝3年(703年)12月17日の火葬の際の「大倭根子天之廣野日女尊」(おほやまとねこあめのひろのひめのみこと)と、『日本書紀』巻30の冒頭に記された「高天原廣野姫天皇」(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)がある(なお『日本書紀』において「高天原」が記述されるのは巻1・冒頭の第4の一書とこの箇所のみである)。確実ではないが伊勢神宮に参拝し「日本」国号を定めた可能性が高い天皇である(後述)[4]。漢風諡号「持統天皇」は代々の天皇とともに淡海三船により、熟語の「継体持統」から持統と名付けられたという。[要出典]