日本とウクライナの関係
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日本とウクライナの関係(にほんとウクライナのかんけい、ウクライナ語: Українсько-японські відносини、英語: Japan–Ukraine relations、日宇関係)は、19世紀の百科事典『古事類苑』で、ウクライナ人がロシア帝国によって領土が奪われたコサックとして記述されているのをもって端緒とする。
概要
政治 | |
独立承認 | 1991年 12月28日 |
関係成立 | 1992年 01月26日 |
大使館開館 | 在ウクライナ 1993年1月 在京 1994年9月[1] |
経済 | |
日本の輸出額 | 541.8億円(2020年)[1] |
日本の輸入額 | 568.8億円(2020年)[1] |
文化 | |
在ウクライナ日本人 | 0251人(2021年12月)[1] |
在日ウクライナ人 | 1,860人(2021年6月)[2] |
地理 | |
時差 | 7時間 |
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ウクライナはロシア帝国の支配下にあったため、民間の交流は日露関係の影響を受けていた。20世紀においてウクライナ人は、日露戦争と日ソ戦争に参加し、極東ロシアの植民地化に加担する一方で、日本と秘密裏の交渉を行い、日本の支援のもとで沿海州におけるウクライナ人の居住地区(緑ウクライナ)をロシアから独立させようと計画した。1991年にウクライナが独立を果たすと、同年12月28日に日本国政府はウクライナを国家として承認し[3]、1992年1月26日には両国間の外交関係が設立された。2008年に入ってからは、インベストウクライナ(英語版)、ウクライナ日本センター、日本貿易振興機構などの団体が主催する定期的な交流が行われるなど、ウクライナと日本の関係は改善している[4]。ウクライナ紛争以降の両国関係は、歴史上で最も高いレベルとなっている[5]。