日本の医学校
ウィキペディア フリーな encyclopedia
日本の医学校(にほんのいがっこう)は、日本で過去設立された医師養成学校(養成機関)の一覧。現在の大学医学部の源流となった学校も幾つかある。参考の為、歯科医学校、鍼灸医学校、獣医学校についても挙げる。
江戸時代の医師は漢方医[1]であり、その養成は主に徒弟制度によって行われていた。江戸時代後期に西洋医学を教える蘭学塾が発達した。また、幕末に各地の蘭方医により種痘が始められ、種痘を行う種痘所が医師教育の一端を担った事例も多い。日本の近代西洋医学教育は1869年(明治2年)旧医学所跡に設置された、大学東校を起源とする。後に第一大学区医学校、東京医学校と改称し東京大学医学部に継承された。
1872年(明治8年) に医術開業試験を実施され、医師免許制度が確立した。 当時は既に全国に公立や私立の医学校がつくられ、1879年(明治12年)には公立20校、私立25校を数えた。1882年(明治15年)には医学校を甲乙2種 を分けて,甲種は教師に医学士(当時は東京大学医学部卒業のもの)3名以上、修業年限は4年以上とし、卒業生は無試験で医師免許を取得、乙種は医術開業試験を受験するものとした[2]。甲種は当初、13校認定された。1885年に岡山,大阪府立, 長崎, 県立千葉,京都府,神戸病院附属,愛知県,和歌山県,三重県,石川県金沢,広島病院附属,福岡,宮城,徳島,新潟,秋田,熊本県,福島,大分県立,岩手県,県立鳥取病院附属各医学校の 21 校[3]となった。