杉村濬日本の外交官 / ウィキペディア フリーな encyclopedia 杉村 濬(すぎむら ふかし、1848年3月20日〈弘化5/嘉永元年2月16日[1]〉 - 1906年〈明治39年〉5月19日[2][3])は、明治時代の日本の外交官(外務官僚)。初代バンクーバー領事を間に挟み、通算8年在勤した朝鮮では一等書記官として閔妃暗殺事件に関与。以後、台湾総督府民政局事務官兼参事官及び評議会員、外務省通商局長を務め、晩年は駐ブラジル弁理公使兼総領事として同地で客死した。
杉村 濬(すぎむら ふかし、1848年3月20日〈弘化5/嘉永元年2月16日[1]〉 - 1906年〈明治39年〉5月19日[2][3])は、明治時代の日本の外交官(外務官僚)。初代バンクーバー領事を間に挟み、通算8年在勤した朝鮮では一等書記官として閔妃暗殺事件に関与。以後、台湾総督府民政局事務官兼参事官及び評議会員、外務省通商局長を務め、晩年は駐ブラジル弁理公使兼総領事として同地で客死した。