松平信孝 (戦国時代)
日本の戦国時代の武将。械(合歓木)松平家・三木松平家初代 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
松平 信孝(まつだいら のぶたか)は、戦国時代の武将。三河国松平氏6代当主・松平信忠の子。官途名は蔵人佐。通称は与十郎。徳川家康の大叔父にあたり、一般に三木(みつぎ)松平家初代とされる[2][3]。
概要 凡例松平信孝, 時代 ...
時代 | 戦国時代 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 天文17年4月15日(1548年5月22日) |
別名 | 蔵人佐、通称:与十郎 |
戒名 | 道雲[1] |
墓所 | 愛知県岡崎市の浄珠院[1] |
氏族 | 三木松平家 |
父母 | 父:松平信忠 |
兄弟 | 清康、信孝、康孝、久、東姫、矢作殿、瀬戸の大房 |
子 | 榊原正久室[1]、上田元俊室[1]、重忠[1] |
テンプレートを表示 |
閉じる
ただし、三木ははじめ弟の松平康孝の所領であった土地で、信孝がこれを押領したとされる経緯から、最初の所領であった合歓木(ねむのき。「械木」とも記される)の名を採り、信孝の立てた家を合歓木松平家とする解釈もある。