河井継之助
日本の江戸時代の武士 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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河井 継之助(かわい つぎのすけ、正字体:繼之助、文政10年1月1日(1827年1月27日) - 慶応4年8月16日(1868年10月1日))は、江戸時代末期(幕末)の武士。越後長岡藩牧野家の家臣。「継之助」は幼名・通称で、読みは郷里の新潟県長岡市にある河井継之助記念館は「つぎのすけ」[1]とするが、死没地である福島県只見町の同名施設は「つぐのすけ」としている[2]。諱は秋義(あきよし)。号は蒼龍窟。禄高は120石。妻は「すが」。