沼津兵学校
明治初期にあった兵学校 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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沼津兵学校(ぬまづへいがっこう)は、明治時代初期に駿府藩(静岡藩)が設置・運営した兵学校。1868年(明治元年)にフランスに倣った軍隊の養成を目標に掲げ、駿河国沼津の沼津城内にて開校した。受講資格は徳川家臣で14歳から18歳の者であることが原則であったが、他藩からの留学生もいたといわれる。初代学長は西周であり、教師は優秀な旧幕臣の中から選ばれた。
1871年(明治4年)に兵部省の管轄となり、1872年(明治5年)には政府の陸軍兵学寮との統合のため東京へ移転した。
途中で作られた付属小学校は、現在の沼津市立第一小学校の前身である。また、1869年(明治2年)に江原素六が設立した沼津兵学校付属沼津病院は現在の沼津市立病院の前身である[1]。