源義清 (武田冠者)
平安時代後期の武将。源義光の次男?三男?。配流甲斐市河庄 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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源 義清(みなもと の よしきよ)は、平安時代後期の武将。『尊卑分脈』によれば、河内源氏の一族で甲斐源氏の初代当主である源義光(新羅三郎義光)の三男(次男とも)[1]。甲斐源氏2代当主。母は平清幹の娘(平成幹の姉または妹にあたる)。また、信濃源氏の祖源頼季(父義光の叔父)の子井上満実は彼の従兄弟に当たる。
概要 凡例源 義清, 時代 ...
時代 | 平安時代後期 |
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生誕 | 承保2年4月16日(1075年5月3日) |
死没 | 久安5年7月23日(1149年8月27日) |
改名 | 音光丸(幼名)→義清 |
別名 | 武田義清、逸見義清、通称:刑部三郎、武田冠者 |
氏族 | 河内源氏義光流 |
父母 | 父:源義光、母:甲斐守知実の娘 |
兄弟 | 義業、実光、義清、盛義、親義、祐義、覚義 |
妻 | 源兼宗の娘 |
子 | 清光、師光、加賀美遠光、安田義定ら |
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『尊卑分脈』によれば源義光には七男がおり、義清の兄には佐竹氏の祖となった義業・福士氏の祖となった源実光、弟には盛義(刑部四郎・平賀冠者)・親義(刑部五郎・岡田冠者)・祐義(刑部六郎・覚義(寺阿闍梨)がいる[1]。
幼名は音光丸。通称は刑部三郎・武田冠者で、「刑部」は義光が刑部丞であったことに由来していると考えられている[1]。武田義清・逸見義清とも。子に清光(逸見清光)、師光、加賀美遠光、安田義定らがある。