澤田瑞穂
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澤田 瑞穂(さわだ みずほ、1912年5月23日[1] - 2002年1月28日[2][3])は、日本の中国文学者。中国の怪異研究の第一人者[4]。跡見学園女子大学助教授、天理大学教授[5]、早稲田大学文学部教授[5]を歴任した。娘婿は清末小説研究家の樽本照雄(大阪経済大学名誉教授)。
高知県幡多郡大方町(現・黒潮町)生まれ[1]。小学校3年生の時に大阪へ転居[1]。1934年國學院大學高等師範部卒[1]。1940年、北京日本大使館嘱託として中国に渡り[1]、1942年に帰国する[1]。1944年5月東亜交通公社華北支社附属伝習所講師として再び中国に渡る[1]。1946年3月に帰国[1]。中学校や高校で教鞭を執った後、1957年天理大学に着任[1]。1973年同大学を定年退職[1]。1974年早稲田大学に着任[1]。1977年「宝巻の研究」で早稲田大学文学博士。1983年同大学を定年退職[1]。
中国滞在時に収集した中国民間信仰、風俗に関する書物は「風陵文庫」として早稲田大学図書館に収蔵されている[5]。