無我
仏教の根本教条であり(三相)、三法印と四法印の1つでもある / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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無我(むが、巴: anattā, アナッター[注 1]、梵: अनात्मन, anātman, アナートマン, nairātmya[3], ナイラートミャ)は、あらゆる事物は現象として生成しているだけであり、それ自体を根拠づける不変的な本質は存在しないという意味の仏教用語[3][4]。非我とも訳される[4]。我(アートマン)とは、永遠に変化せず(常)・独立的に自存し(一)・中心的な所有主として(主)・支配能力がある(宰)と考えられる実在を意味する[4]。全てのものにはこのような我がなく、全てのものはこのような我ではないと説くのを諸法無我という[4]。
概要 仏教用語 無我, アナッター, パーリ語 ...
仏教用語 無我, アナッター | |
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パーリ語 | anattan, anattā |
サンスクリット語 | अनात्मन्, anātman |
中国語 | 無我 |
日本語 |
無我 (ローマ字: muga) |
英語 | non-self |
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アナッター(無我)は生物の性質であり、加えてアニッチャ(無常、非恒常、永遠でないこと)、ドゥッカ(苦、不満足なこと)を加えて仏教の三相をなし、また三法印と四法印の1つ[3][4][5][6]。これはダンマパダなど多くの経典で確認される[7]。仏教では四諦を述べ、輪廻を脱する道があると主張する[注 2][注 3]。