王仁
百済から日本に渡来し、千字文と論語を伝えたとされる伝承上の人物。『日本書紀』では王仁、『古事記』では和邇吉師と記されている。『古今和歌集』仮名序に1首 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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古代前漢帝国の人物については「王仁 (前漢)」をご覧ください。 |
王仁(わに、生没年不詳)は、応神天皇の時代に辰孫王と共に百済から日本に渡来した百済人、千字文と論語を伝えたと古事記に記述される伝承上の人物である[1](記紀には「辰孫王」の記述は無い)。『日本書紀』では王仁、『古事記』では和邇吉師(わにきし)と表記されている。伝承では、百済に渡来した漢人であるとされ[2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12][13][14][15][16][17]、姓である王氏から楽浪郡の王氏とする見解もあるがあくまでも学者の推測であり、記録では楽浪郡の王氏という言及はなく、百済人である記録だけ存在する。また志田諄一も王氏を名乗る朝鮮系の人々が存在したことを認めている[3][7][15][18][19]。一方、王仁が伝えたとされる千字文が、王仁の時代には成立しておらず、この矛盾については、早く江戸時代に新井白石、伊勢貞丈らによって提起されており、実在の人物とは認め難いとする説も多数存在する。また、志田諄一は王仁を辰孫王と同一視する見解もある[20][21][22][23][24][25][26][27][28][29]。