田中上奏文
昭和初期に中国を中心に流布した偽書のこと / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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天皇への田中のその他の上奏(奏上)については「田中義一#張作霖爆殺事件」をご覧ください。 |
田中上奏文(たなかじょうそうぶん)は、昭和初期に中国を中心に流布した偽書である[1]。
第26代内閣総理大臣田中義一が1927年(昭和2年)に昭和天皇へ「極秘に行った上奏文」の翻訳であるとされ、〈中国の征服には満蒙(満州・蒙古)の征服が不可欠で、また世界征服には中国の征服が不可欠〉との内容であったため、日本による世界征服の計画書だとされた。田中メモリアル・田中メモランダム・田中覚書とも呼ばれ、中国では田中奏摺、田中奏折と呼ばれる。英語表記はTanaka Memorial[1]。
出回りだした当時から日本側では偽書であると考えられており、当初は中華民国で流布しているとして日本政府は民国政府に抗議を行った結果、民国政府の機関紙『中央日報』で真実の文書ではないと報じた。しかし1930年代には日中関係悪化にともなって反日プロパガンダに利用されるようになり、日本は国際連盟などでも答弁を求められることとなった。しかし各国は中国を支持し、日本は国際社会で孤立し、外交的に敗北を喫することとなった[2]。またアメリカのプロパガンダ映画『バトル・オブ・チャイナ』でも日本の侵略計画の根拠であるとされ、戦後には東京裁判においても一時は審理対象として証拠申請されたこともあった(証拠採用はされなかった。詳細後述)。
田中上奏文の作成経緯については、王家楨やソ連によるとの説、日本軍人の談話を基にしたとの説など諸説がある[3]。
また、内容については、上奏が行われたとされる1927年当時にはすでに死去していた山縣有朋(1922年死亡)が文中に登場するなど、明らかな誤謬があり、とても官僚がまとめた文章とは思えないとの指摘がある。
歴史家のジョン・ダワーは、当時効果を発揮した見事なプロパガンダ文書であったことに現在のほとんどの学者が同意していると述べている[1]。しかし、いまだに偽書ではないとする者も日本国外には一部存在している[4][5]。