田中哲也
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この項目では、レーシングドライバーについて記述しています。サッカー選手の同名の人物については「田中哲也 (サッカー選手)」をご覧ください。 |
田中 哲也(Tetsuya Tanaka、 たなか てつや、1965年12月16日 - )は、京都府出身のレーシングドライバー。
概要 田中 哲也, 基本情報 ...
田中 哲也 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
生年月日 | (1965-12-16) 1965年12月16日(58歳) |
出身地 | 京都府 |
デビュー | 1988 |
過去所属 | ハセミモータースポーツ,トムス,PIAA Nakajima,NISMO,TEAM IMPUL,5ZIGEN |
出走回数 |
25(F-NIPPON) 41 (全日本F3) 47(GT500) 89(GT300) |
優勝回数 |
1 (全日本F3) 1(GT500) 5 (GT300) |
ポールポジション |
1 (全日本F3) 4(GT300) |
ファステストラップ |
2 (全日本F3) 3(GT300) |
過去参加シリーズ | |
1988-89 1989-94 1991-97 1993- |
FJ1600 全日本F3選手権 全日本ツーリングカー選手権 NI耐久/スーパー耐久 |
選手権タイトル | |
1999,00,01,04,06 | スーパー耐久 クラス1 |
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天理高等学校時代は硬式野球部レギュラーとして活躍。立命館大学経済学部(1989年卒業)に入学後、レーサーを目指し1987年にジムカーナA2クラスに参戦、1990年にはプロデビューを果たした。スーパー耐久シリーズでは5回のシリーズチャンピオンを獲得している。
立命館大学時代のチームメイトに古田敦也がいる。天理高校という野球の名門から進んだ田中は、無名で入ってきた古田のプレーを見て「コイツにはかなわない」と野球の道を諦めたというエピソードが明かされている。
全日本ツーリングカー選手権時代に星野薫とコンビを組んで走ったことで、タイヤ状態やコンディションの悪い状況でラップタイムを落とさないような走り方を経験、勉強できたと語っている[1]。
2023年、スーパーフォーミュラに小林可夢偉と国本雄資の2台で参戦するTeam KCMGのレースマネージャーに就任[2]。監督の松田次生と共にチームを支える[3]。