皆川淇園
江戸時代中期の儒学者 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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皆川 淇園(みながわ きえん、享保19年12月8日(1734年1月1日) - 文化4年5月16日(1807年6月21日))は、江戸時代中期の儒学者。父は皆川成慶(春洞、白洲)で、実弟に国学者富士谷成章(層城、北辺)、甥に国学者富士谷御杖がいる[1]。淇園は号で、名は愿(げん)、字は伯恭(はくきょう)、通称は文蔵(ぶんぞう)、別号に有斐斎(ゆうひさい)がある[2]。生まれは京都。