福田康夫
日本の政治家、第91代内閣総理大臣 (1936-) / ウィキペディア フリーな encyclopedia
親愛なるWikiwand AI, これらの重要な質問に答えるだけで、簡潔にしましょう:
トップの事実と統計を挙げていただけますか 福田康夫?
この記事を 10 歳向けに要約してください
その他の同名の人物については「福田康夫 (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
福田 康夫(ふくだ やすお、1936年〈昭和11年〉7月16日 - )は、日本の政治家。
このページはリンク切れのWeb出典が多くなっており、記事の信頼性維持のため出典の差し替えが求められております。 |
福田 康夫 ふくだ やすお | |
---|---|
内閣広報室より公表された肖像 | |
生年月日 | (1936-07-16) 1936年7月16日(87歳) |
出生地 | 日本 東京府東京市世田谷区 |
出身校 | 早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒業 |
前職 |
丸善石油(現:コスモ石油)従業員 衆議院議員秘書 内閣総理大臣秘書官 |
現職 |
ボアオ・アジア・フォーラム諮問委員会主席 アジア人口・開発協会理事長 |
所属政党 | 自由民主党(町村派) |
称号 | 経済学士(早稲田大学・1959年) |
配偶者 | 妻・福田貴代子 |
親族 |
祖父・福田善治 義祖父・櫻内幸雄(元衆議院議員) 父・福田赳夫(元内閣総理大臣、元衆議院議員) 伯父・福田平四郎 叔父・福田宏一(元参議院議員) 義伯父・櫻内義雄(元外務大臣、元衆議院議員) 義兄・越智通雄(元経済企画庁長官、元衆議院議員) 長男・福田達夫(衆議院議員) 甥・越智隆雄(衆議院議員) |
第91代 内閣総理大臣 | |
内閣 |
福田康夫内閣 福田康夫改造内閣 |
在任期間 | 2007年9月26日 - 2008年9月24日 |
天皇 | 上皇(明仁) |
内閣 |
第2次森改造内閣(省庁再編後) 第1次小泉内閣 第1次小泉第1次改造内閣 第1次小泉第2次改造内閣 第2次小泉内閣 |
在任期間 | 2001年1月6日 - 2004年5月7日 |
第67-69代 内閣官房長官 | |
内閣 |
第2次森内閣 第2次森改造内閣(省庁再編前) 第2次森改造内閣(省庁再編後) 第1次小泉内閣 第1次小泉第1次改造内閣 第1次小泉第2次改造内閣 第2次小泉内閣 |
在任期間 | 2000年10月27日 - 2004年5月7日 |
第41代 沖縄開発庁長官 | |
内閣 | 第2次森内閣 |
在任期間 | 2000年10月27日 - 2000年12月5日 |
選挙区 |
(旧群馬3区→) 群馬4区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 1990年2月18日 - 2012年11月16日 |
その他の職歴 | |
第22代 自由民主党総裁 (2007年9月23日 - 2008年9月22日) | |
テンプレートを表示 |
衆議院議員(7期)、内閣官房長官(第67・68・69代)、沖縄開発庁長官(第41代)、内閣府特命担当大臣(男女共同参画担当)、自由民主党総裁(第22代)、内閣総理大臣(第91代)を歴任した。
東京府東京市生まれで、群馬県高崎市育ち。大学卒業後、丸善石油株式会社に勤務し17年余りサラリーマン生活を送っていたが、40歳で退社し、政界入りする[1]。父である福田赳夫の秘書を14年間務めた後、1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙において旧群馬3区から出馬し初当選を果たす。
第2次森内閣において内閣官房長官に抜擢され、続く小泉内閣でも官房長官を務めた。2004年(平成16年)、自身の年金未納が発覚したため、3年半余り務めた官房長官の職を引責辞任。在任期間は1289日、内閣官房長官として当時歴代最長在任記録を残した(2016年7月、第2次安倍内閣で内閣官房長官に就任した菅義偉に抜かれ、歴代2位となる[2])。ポスト小泉の候補として、安倍晋三の対立候補として総裁選への立候補が注目されたが、結局出馬しなかった。
2007年(平成19年)9月、安倍の突然の辞任劇の中、当初、後継総裁の最有力と見られた麻生太郎を抑え、自民党の大多数の派閥の支持を背景に2007年自由民主党総裁選挙に立候補する。麻生を破り、第22代自由民主党総裁に選出され、第91代内閣総理大臣に就任。史上初の親子二代での総理となった[3]。2008年(平成20年)9月、内閣を総辞職し、内閣総理大臣・自民党総裁の職を辞した。2012年の衆議院選挙に出馬せず、同年11月に衆議院解散に伴い政界を引退した。