竹田城
兵庫県朝来市にあった城 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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竹田城(たけだじょう)は、現在の兵庫県朝来市和田山町竹田にあった日本の城(山城)。
概要 logo竹田城 (兵庫県), 別名 ...
竹田城 (兵庫県) | |
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本丸から望んだ南千畳 | |
別名 | 虎臥城、安井ノ城、天空の城 |
城郭構造 | 梯郭式山城 |
天守構造 | あり |
築城主 | 山名宗全 |
築城年 | 1431年(永享3年) |
主な改修者 | 羽柴秀長、赤松広秀(斎村政広) |
主な城主 | 太田垣氏、羽柴秀長、桑山重晴、赤松広秀 |
廃城年 | 1600年(慶長5年) |
遺構 | 石垣、堀、井戸など |
指定文化財 | 国指定史跡 |
再建造物 | なし |
位置 | 北緯35度18分00秒 東経134度49分44秒 |
地図 | |
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縄張りが虎が臥せているように見えることから、別名虎臥城(とらふすじょう、こがじょう)。国の史跡に指定されている。また城下から遥か高く見上げる山の頂に位置し、しばしば円山川の川霧により霞むことから、「天空の城」[1]や「日本のマチュピチュ」[1][2]とも呼ばれる。雲海に浮かび上がる古城の累々たる石垣群の威容は、名物ともなっている。
東に立雲峡を望む標高353.7mの古城山(虎臥山)の山頂に築かれ、縄張りは南北約400m、東西約100m。天守台をほぼ中央に配置し、本丸、二の丸、三の丸、南二の丸が連郭式に配され、北千畳部と南千畳を双翼とし、天守台北西部に花屋敷と称する一郭がある。廃城から約400年を経ているが、石垣がほぼそのままの状態で残っており、現存する山城として日本屈指の規模となっている。
朝来市は2012年4月に竹田城の管理・宣伝をする「竹田城課」を新設した[3][4]。(2017年4月に観光交流課と文化財課に業務を移管され、現在は竹田城課は存在しない。)又、予算の関係で建物の木造復元計画はない。