第四政党制 (アメリカ合衆国)
ウィキペディア フリーな encyclopedia
第四政党制(だいよんせいとうせい、英: Fourth Party System)は、政治学者や歴史学者が使う政治モデルであり、アメリカ合衆国に存在した政党制の中でおおまかに1896年から1932年までを画するものである。この時代の大半は共和党が支配したが、1912年の大統領選挙で党内が分裂したために民主党に政権を奪われ、8年間ホワイトハウスを明け渡したのが例外となった。歴史学ではこの時代を「進歩主義の時代」と呼び慣わしている。その概念は1960年にE・Eシャッツシュナイダーが「1896年システム」と呼んで紹介され、1960年代半ばに政治学者によって多くのスキームが付け加えられた[1]。
第四政党制に先立つ第三政党制では、南北戦争とそれに続くレコンストラクションの時代が焦点であり、奴隷制度と金融の問題が議論されたが、第四政党制では中心的な問題が転換されてきたことが特徴である。この時代は1893年の厳しい不況に始まり、1896年アメリカ合衆国大統領選挙では特に際だった緊張関係があった。その後の大きな潮流としては進歩主義の時代、第一次世界大戦、世界恐慌の始まりと続いた。世界恐慌によって政党の支配構造が再編され、第五政党制に移った。それは民主党がニューディール政策連衡を形成し、1960年代まで支配を続ける時代となった。
国内の中心課題は、鉄道や大企業(トラスト)の政府による規制、保護関税、労働組合の役割、年少労働者、新しい銀行制度の必要性、党利が関わる汚職、予備選挙、上院議員の直接選挙、人種分離政策、政府の効率、女性参政権、および移民の制御があった。外交政策としては、1898年の米西戦争、帝国主義(バナナ戦争)、ドル外交、メキシコ革命、第一次世界大戦および国際連盟の設立があった。この時代を率いた人物としては、ウィリアム・マッキンリー、セオドア・ルーズベルトおよびウッドロウ・ウィルソンの各大統領と、3度大統領候補として出馬したが当選を果たさなかったウィリアム・ジェニングス・ブライアンがいた。