紫雲丸
1947年から1966年まで宇高航路に就航していた鉄道連絡船 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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紫雲丸(しうんまる)は、1947年(昭和22年)から1966年(昭和41年)まで日本国有鉄道の宇高航路に就航していた鉄道連絡船。宇高航路初の車載客船であった。
概要 紫雲丸, 基本情報 ...
紫雲丸 | |
---|---|
基本情報 | |
船種 | 車載客船 |
船籍 | 日本 |
運用者 |
運輸省鉄道総局 日本国有鉄道 |
建造所 | 播磨造船所 |
姉妹船 | 眉山丸・鷲羽丸 |
信号符字 | JDJQ |
改名 |
瀬戸丸 1955年(昭和30年)10月11日 |
経歴 | |
起工 | 1946年(昭和21年)8月16日 |
進水 | 1947年(昭和22年)3月10日 |
竣工 | 1947年(昭和22年)6月9日 |
就航 | 1947年(昭和22年)7月6日 |
終航 | 1966年(昭和41年)3月30日 |
要目 (新造時) | |
総トン数 | 1,449.49トン |
全長 | 76.18m |
垂線間長 | 72.00m |
型幅 | 13.20m |
型深さ | 5.00m |
満載喫水 | 3.50m |
ボイラー |
乾熱式円缶 4缶 |
主機関 |
石川島式2段減速歯車付衝動タービン 2台 |
最大出力 | 2,181軸馬力 |
定格出力 | 900軸馬力×2 |
最大速力 | 14.66ノット |
航海速力 | 12.8ノット |
旅客定員 | 1,500名 |
車両搭載数 | ワム換算14両 |
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1950年(昭和25年)と1955年(昭和30年)の2回にわたる衝突事故で沈没し、いずれも死者を出した。特に2回目の事故は修学旅行の児童生徒100名を含む168名の死者を出し、紫雲丸事件[1]と呼ばれ、国鉄戦後五大事故の一つに挙げられる。いずれの事故後も引揚げられ、復旧再就航しているが、2回目の復旧再就航時には瀬戸丸と改称されている。