織豊系城郭(しょくほうけいじょうかく)とは、織田信長・豊臣秀吉とその配下の家臣団・諸大名によって築城・改修された、共通する特徴をもつ城郭のこと。軍事施設の意味合いが強い中世城郭(戦国期城郭)から、政治的中心地となった近世城郭へ移行する過渡期に位置づけられ、同じ特色をもつ城郭が画一的に全国に広がったことが特徴である。ただし、その定義は専門家でも一致しておらず、特に縄張り(出入り口)に着目する千田嘉博と、構造(石垣・瓦・礎石)に着目する中井均の見解が対立している。本記事では千田・中井両説を分けて記述する。