『老子化胡経』(ろうしかこきょう、ろうしけこきょう)は、中国に伝来した仏教と中国土着宗教である道教との葛藤により、道教側から生まれたのが『老子化胡経』で、古来偽経とされてきた。
最初に『老子化胡経』が撰述されたのは西暦300年ごろ[1]の西晋で、撰者は道士王浮とされている。
大正蔵第54巻[2]に第1巻および第10巻が収められている[3]。『老子化胡経』は唐代や元代に禁書・焚書とされ残存していないと思われていたが、これは1908年ポール・ペリオによってパリにもたらされた敦煌文献中の残簡である[4]。