聖徳王
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この項目では、古代朝鮮の国家・新羅の王について説明しています。「聖徳王」の異名・諡を持つ古代日本・飛鳥時代の皇族については「聖徳太子」をご覧ください。 |
聖徳王(せいとくおう、生年不詳 - 737年)は、新羅の第33代の王(在位:702年 – 737年)であり、姓は金、諱は興光。元の名は隆基であったが、唐の玄宗と同名であったため712年に唐の勅命によって改名させられた[1]。第31代の神文王の第二子であり、母は一吉飡(7等官)の金欽運(『三国史記』新羅本紀・神文王紀の分注には金欽雲)の娘の神穆王后。王妃は伊飡(2等官)の金順元の娘の炤徳王后[2]。先代の孝昭王は同母兄であり、孝昭王が子を儲けないままに702年7月に死去したため、王位に就いた。
概要 聖徳王 金興光, 王朝 ...
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