藤子不二雄
日本の漫画家コンビが1988年2月頃まで使用していた共同ペンネーム / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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藤子 不二雄(ふじこ ふじお)は、日本の漫画家。藤本弘(ふじもと ひろし)と安孫子素雄(あびこ もとお)の共同ペンネーム。
ふじこ ふじお 藤子 不二雄 | |
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本名 |
藤本 弘(藤子・F・不二雄、以下F) 安孫子 素雄(藤子不二雄Ⓐ、以下A) |
生誕 |
F:1933年12月1日 A:1934年3月10日 日本・富山県 F:高岡市 A:氷見市[注釈 1] |
死没 |
F:1996年9月23日(62歳没) A:2022年4月6日(88歳没) |
国籍 | 日本 |
職業 | 漫画家 |
活動期間 |
1951年-1987年 コンビ36年 -1996年 AF独立活動9年 -2022年 Aのみ活動26年 |
ジャンル |
児童、少年、大人、 SF、ブラックユーモア |
代表作 |
『UTOPIA 最後の世界大戦』 『海の王子』『オバケのQ太郎』 『パーマン』(以上合作)、 『忍者ハットリくん』『怪物くん』 『プロゴルファー猿』 (以上安孫子単独作)、 『ドラえもん』『キテレツ大百科』 『エスパー魔美』 (以上藤本単独作) |
受賞 |
第8回小学館漫画賞 (『すすめロボケット』 『てぶくろてっちゃん』) 第23回 日本漫画家協会 優秀賞 (『ドラえもん』) 第27回小学館漫画賞 児童部門 (『ドラえもん』) 第29回 映画の日 特別功労章 第2回ゴールデングロス賞 最優秀・金賞(『ドラえもん』) ※#受賞歴を参照。 |
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1951年に本名の連名「あびこもとお・ふじもとひろし」でプロデビュー。「足塚不二雄」を経て、1953年7月にペンネームを「藤子不二雄」とし、1988年2月頃まで同名義で作品を発表した。
1987年12月に独立を発表し、1988年1月に独立パーティを開催。安孫子は「藤子不二雄Ⓐ」、藤本は1989年から「藤子・F・不二雄」のペンネームで活動を続けた(「#2つの闘病と独立」を参照)。
活動初期の1954年の時点ですでに単独作品を多く執筆しており、合作を含む全作品を「藤子不二雄」という共同ペンネームで発表するという方式をとっていた(1988年の独立まで)。
1965年に合作『オバケのQ太郎』がテレビアニメ化され大ブレイク。1966年には『パーマン』[注釈 2]、『チンタラ神ちゃん』の連載も始まり年に9本の合作が連載される状態となるが、合作はその後減少。1971年連載開始の合作『仙べえ』『(新)オバケのQ太郎』を経て、1976年の読切『オバケのQ太郎』が実質的に最後の合作となった(「#藤子不二雄の合作」「#最後の合作」を参照)。
「藤子不二雄」名義で発表された代表作は上記の他、安孫子単独作の『忍者ハットリくん』(1964年)、『怪物くん』(1965年)、『まんが道』(1970年)、『プロゴルファー猿』(1974年)、藤本単独作の『ドラえもん』(1969年)、『キテレツ大百科』(1974年)、『エスパー魔美』(1976年)など多数。
事実上コンビとしての活動期間は約36年に及び、“他人同士が組んだ漫画家”としては、2015年にゆでたまごが更新するまで日本の漫画家で最長だった(プロデビュー前の活動を含めれば40年以上)。