豊後街道ウィキペディア フリーな encyclopedia 豊後街道(ぶんごかいどう)は、肥後国熊本(現在の熊本県熊本市)と豊後国鶴崎(現在の大分県大分市鶴崎)を結ぶ全長約124キロメートル(31里)の街道である。 豊後街道・二重峠の石畳(熊本県阿蘇市) 今市の石畳(大分県大分市) 江戸時代に加藤清正によって拓かれ、熊本藩や岡藩の参勤交代に用いられた。大分側から見ると肥後国に向かう街道であることから、肥後街道(ひごかいどう)とも呼ばれる[1]。さらに、豊後往還、肥後往還と呼ばれることもある[2]。
豊後街道(ぶんごかいどう)は、肥後国熊本(現在の熊本県熊本市)と豊後国鶴崎(現在の大分県大分市鶴崎)を結ぶ全長約124キロメートル(31里)の街道である。 豊後街道・二重峠の石畳(熊本県阿蘇市) 今市の石畳(大分県大分市) 江戸時代に加藤清正によって拓かれ、熊本藩や岡藩の参勤交代に用いられた。大分側から見ると肥後国に向かう街道であることから、肥後街道(ひごかいどう)とも呼ばれる[1]。さらに、豊後往還、肥後往還と呼ばれることもある[2]。