赤坂宿 (中山道)
中山道江戸から数えて56番目の宿場 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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赤坂宿(あかさかじゅく)は、中山道江戸から数えて56番目の宿場(→中山道六十九次)。美濃国不破郡赤坂村(現・岐阜県大垣市)に存在した。中山道の美江寺・垂井間の宿駅として栄えた。
源義朝の身がわりとなって佐渡式部大輔重成(源重成) が赤坂の子安の森で討死したこと(『平治物語』)など、中世の文学作品に多く登場する。
金生山から採掘される石灰岩と大理石をもとに石灰工業と大理石加工業が発達。
「金生山#金生山の鉱山・鉱脈」を参照
石灰工業は江戸時代から興り,初めは肥料に使われていたが,現在では鉄鋼業用が大半を占める。大理石加工業は全国的に有名で,江戸時代の終り頃から興り,明治に入って洋風建築の装飾用材として使用された。
同地の旧家・矢橋家が金生山で採掘された白大理石を使って建てた矢橋亮吉邸に、昭和天皇及び皇太子時代の明仁上皇の行幸があった[1]。