辻政信
日本の軍人、政治家 (1902-1961) / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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辻 政信(つじ まさのぶ、1902年(明治35年)10月11日 - 1961年(昭和36年)以降消息不明)は、日本の陸軍軍人、政治家。陸士36期首席・陸大43期恩賜。軍人としての最終階級は陸軍大佐。
概要 辻(つじ) 政信(まさのぶ), 渾名 ...
辻 政信参謀(中佐の頃) | |
渾名 |
「作戦の神様」 「第三次世界大戦さえ起こしかねない男」 |
生誕 |
(1902-10-11) 1902年10月11日 日本・石川県江沼郡東谷奥村今立 |
死没 | 1961年以降消息不明 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1924年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍大佐 |
除隊後 |
著述業 衆議院議員 参議院議員 |
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概要 出身校, 前職 ...
辻 政信 つじ まさのぶ | |
---|---|
出身校 | 陸軍大学校卒業 |
前職 | 陸軍軍人(大本営陸軍部参謀) |
所属政党 |
(自由党→) (自由民主党→) (無所属クラブ→) (第二院クラブ→) 無所属 |
親族 |
長男・辻徹[1] 長女・堀内英子[2] 娘婿・堀内光雄 孫・堀内光一郎(富士急行社長)[3] |
選挙区 | 全国区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1959年6月2日 - 1965年6月1日[注釈 1] |
選挙区 | 石川県第1区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1952年10月2日 - 1959年4月30日 |
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ノモンハン事件、太平洋戦争中のマレー作戦、ポートモレスビー作戦、ガダルカナル島の戦いなどを参謀として指導した。 軍事作戦指導では「作戦の神様」「軍の神様」と当時においては讃えられていた[4]。
その一方で、非人道的残虐事件を巻き起こした指揮系統を無視した現場での独善的な指導[5]、部下への責任押し付け、自決の強要、戦後の戦犯追及からの逃亡などについて批判がある[6][7]。
敗戦後は数年間を国内外で潜伏したのち戦記を上梓し、ベストセラーとなった。反共、反米、自衛独立を唱える政治団体の自衛同盟を結成後に、政治家に転身し衆議院議員(4期)、参議院議員(1期)を歴任した。参議院議員在任中の1961年(昭和36年)4月に視察先のラオスのジャール平原で行方不明となり、1968年(昭和43年)7月20日に死亡宣告がなされた。