郷学
江戸時代から明治初年の日本に存在した教育機関 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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郷学(ごうがく[1][2][3]、きょうがく[1])は、江戸時代から明治初年にかけて存在した教育機関の一種。郷校(ごうこう)、郷学校(ごうがっこう)、義校(ぎこう)など[注釈 1]ともいう。
現在用いられる「郷学」という用語は、藩校・家塾・寺子屋に分類されない教育機関を指すものとして創出された概念であり、内実は多様である[4][5][6]。大きくは主たる教育対象が武士であるか庶民であるかによって2種類に分けられる[2][3][7]。武士教育機関としての郷学は、藩校の延長、あるいは小規模の藩校ともいうべきものである[3]。また庶民教育機関としての郷学については、官(藩主や代官など)が設立・運営に関与したものから、民間有志によって設立・運営されるものとで性格を分けられ得る[1]。
「郷学」と総称される学校である郷校は、江戸時代から明治初年までの全期間に全国で1000余校あったとされる[1]が、成立時期は明治初年に集中している[1]。郷校は寛政期の頃から増え始め天保期に急増、明治に入る頃に激増し近代学校制度の基礎となった。
明治維新期に設立された「郷学」あるいは「郷学校」は、1872年の学制公布に先立って初等教育の普及を担い[7]、学制公布後は多くが小学校[注釈 2]に転換した[3]。