陸奥国分寺
宮城県仙台市若林区にある寺院 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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陸奥国分寺(むつ こくぶんじ)は、宮城県仙台市若林区木ノ下にある真言宗智山派の寺院。護国山医王院国分寺と号す。本尊は薬師如来。
概要 国分寺, 所在地 ...
国分寺 | |
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薬師堂(国の重要文化財) | |
所在地 | 宮城県仙台市若林区木ノ下2-8-28 |
位置 | 北緯38度15分4.71秒 東経140度54分10.12秒 |
山号 | 護国山 |
院号 | 医王院 |
宗派 | 真言宗智山派 |
本尊 | 薬師如来 |
創建年 | 8世紀前半 |
開基 | 聖武天皇 |
中興年 | 慶長12年(1607年) |
中興 | 伊達政宗 |
正式名 | 護国山医王院国分寺 |
別称 | 金光明四天王護国之寺 |
文化財 |
薬師堂(国の重要文化財) 陸奥国分寺跡(国の史跡) 木の下及び薬師堂(国の名勝) 仁王門・木造十二神将立像12躯・木造不動明王立像・木造毘沙門天立像(宮城県指定文化財) |
法人番号 | 3370005000740 |
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聖武天皇の発願によって建立された国分寺の1つで、奈良時代の740年代頃に創建された。平安時代まで陸奥国の財政的支持を受けて大伽藍を維持したが、室町時代には著しく衰微した。真言宗になった時期は不明。17世紀初めに伊達政宗により再興され、1607年に建てられた薬師堂を中心に25坊を擁する大寺院として栄えた。明治時代に僧坊は1つを残して廃絶したが、薬師堂をはじめとする中心堂宇は維持された。
薬師堂は国の重要文化財に、古代の寺院跡は国の史跡に、境内付近は国の名勝にそれぞれ指定されている。薬師堂の南西の准胝観音堂(準胝観音堂)は、江戸時代に設定された仙台三十三観音の第25番札所である。