陸軍経理学校
日本陸軍の軍学校の1つ / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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陸軍経理学校(りくぐんけいりがっこう、英語: Imperial Japanese Army Accounting School, Military Intendance School[1]等)は日本陸軍の軍学校のひとつである。主として陸軍における経理を担当する軍人(経理官)の養成教育、あるいは経理官への上級教育を行った。そのほか陸軍経理に関する調査と研究、図書の出版も行った。陸軍経理とは会計だけに限らず、監査、被服、糧秣、建築も職務に含まれる。1886年(明治19年)8月に設立された陸軍軍吏学舎を前身とし、1890年(明治23年)11月に陸軍経理学校が開校された。
教育の対象者と教育内容は開校以来何度となく変遷し多様であったが、その中では明治時代後期より大正時代後期まで存在した陸軍主計候補生や、1935年(昭和10年)12月に定められた経理部士官候補生、あるいは1939年(昭和14年)から多数の卒業者を出した幹部候補生が比較的よく知られている。兵科将校となる士官候補生を教育する陸軍士官学校を場合により「陸士」と略すことに対比して、経理部士官候補生を教育する同校が、通称・略称として陸経と呼ばれる事例もある[* 1]。
学校本部および本校は当初のうち陸軍軍吏学舎から引き継ぎ東京市麹町区富士見町に置かれ、1900年(明治33年)3月に同市牛込区河田町へ移転した。河田町の隣地にちなむ若松台の名は以後同校の愛称となっている。さらに1942年(昭和17年)3月、陸軍経理学校は戦争による生徒、学生、幹部候補生等の人員増加のため、東京府北多摩郡小平村に再移転した。1945年(昭和20年)8月、太平洋戦争の終戦により陸軍経理学校は閉校となった。ここでは陸軍軍吏学舎、および陸軍経理を担当する軍人の補充制度についても述べる。