須原屋茂兵衛
江戸時代の版元。家号は千鐘房(堂)、月花軒。 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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須原屋 茂兵衛(すはらや もへえ)は江戸時代の版元。家号は千鐘房(堂)、月花軒。万治~元禄期より明治まで9代続いた[1]。上方資本が幅を利かせる江戸時代初期より江戸地店として早くから台頭し、江戸出版業界最大手の地位を築き上げたことから、江戸を代表する書物問屋で「江戸書林の魁」と呼ばれる。『武鑑』や『江戸切絵図』等の公的出版物を多く手がけたため、郭物を手がけた蔦屋重三郎との対比で「吉原は重三茂兵衛は丸の内」と詠まれた。須原屋一統の総本家。須原屋茂兵衛からは暖簾分けにより須原屋伊八・須原屋市兵衛・須原屋佐助などが出て、いわゆる須原屋一統が繁栄した。北畠氏、明治期は松本氏を称す。