ジャワ沖海戦
ウィキペディア フリーな encyclopedia
ジャワ沖海戦(ジャワおきかいせん)は、第二次世界大戦の太平洋戦線において、1942年(昭和17年)2月4日に東南アジアで生起した日本海軍航空隊と連合軍ABDA艦隊との間の海戦[1]。基地航空部隊の一式陸攻と九六陸攻が連合国軍巡洋艦部隊を攻撃して大戦果を報告したが[2]、実際は軽微な被害であった[3]。
概要 ジャワ沖海戦, 交戦勢力 ...
ジャワ沖海戦 | |
---|---|
戦争:第二次世界大戦/太平洋戦争 | |
年月日:1942年2月4日 | |
場所:バリ海 | |
結果:日本の勝利 | |
交戦勢力 | |
大日本帝国 | オランダ アメリカ合衆国 |
指導者・指揮官 | |
塚原二四三中将 | カレル・ドールマン少将 |
戦力 | |
陸上攻撃機60 | 重巡洋艦1 軽巡洋艦3 駆逐艦7 |
損害 | |
陸攻1 | 軽巡1中破 重巡洋艦1小破、軽巡1小破 |
閉じる
本記事では、2月4日から5日にかけて日本軍基地航空隊がシンガポール増援輸送船団を攻撃して軍隊輸送船「エンプレス・オブ・エイジア」を撃沈した海空戦の顛末、2月15日にガスパル海峡で生起した日本海軍(基地航空部隊、馬来部隊)とABDA艦隊の戦闘についても記述する[4]。2月15日の海戦では、パレンバン攻略部隊撃滅をめざすABDA艦隊を、日本海軍の基地航空部隊と空母龍驤艦上機が攻撃した[5]。ABDA艦隊の被害は軽微だったが、輸送船団攻撃を断念して撤退した[6]。