チェサピーク湾の海戦
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チェサピーク湾の海戦(チェサピークわんのかいせん、英: Battle of the Chesapeake、またはバージニア岬の海戦、英: Battle of the Virginia Capes、あるいは単に岬の海戦、英: Battle of the Capes)は、アメリカ独立戦争中の1781年9月5日、チェサピーク湾口の近くで、海軍少将トーマス・グレイブス卿率いるグレートブリテン王国(イギリス)と、同じく海軍少将グラス伯フランソワ・ド・グラス率いるフランス王国の間で戦われた海戦である。この海戦は戦術的には引き分けたが、戦略的にはイギリス海軍の手痛い敗北に終わった。イギリス海軍としては1588年にスペイン無敵艦隊を破ってから第二次世界大戦までのほぼ400年間で最も重大な敗北だった。
概要 チェサピーク湾の海戦, 交戦勢力 ...
チェサピーク湾の海戦 | |
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フランスの戦列艦ヴィル・ド・パリとオーギュスト | |
戦争:アメリカ独立戦争 | |
年月日:1781年9月5日 | |
場所:バージニア州 バージニア岬とチェサピーク湾 | |
結果:戦術的には引き分け・戦略的にはフランス海軍の決定的な勝利 | |
交戦勢力 | |
フランス王国 | グレートブリテン王国 |
指導者・指揮官 | |
フランソワ・ド・グラス | トーマス・グレイブス |
戦力 | |
戦列艦24隻 | 戦列艦19隻、その他8隻 |
損害 | |
戦死または負傷209名 艦船2隻が損傷 |
戦死90名、負傷246名 艦船5隻が破損、1隻は自沈 |
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フランス艦隊の勝利によって、バージニアのヨークタウンに駐屯していたチャールズ・コーンウォリス将軍の部隊に増援を送るというイギリス海軍の任務が果たせなくなった。またジョージ・ワシントン軍がニューヨークからチェサピーク湾を通って軍隊や物資を運ぶのを妨害することもできなかった。その結果はヨークタウンの包囲戦によるコーンウォリス軍の降伏となった(独立戦争で2度目のイギリス軍の大きな降伏)。その後、イギリスはアメリカ合衆国の独立を認めることになった。
歴史家のラッセル・ウィーグリーはこの結果を次のように表現した。
「 | チェサピーク湾の海戦は
明確な点の無いフランス海軍の 戦術的勝利だったが、戦争の 根本的な行方を決定付けたことで、 フランスとアメリカにとって 戦略的な勝利だった。 |
」 |
— Russell Weigley[1] |