ファーティマ
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ファーティマ(فاطمة الزهراء Fāṭima al-Zuhrā' 606年または614年 - 632年8月28日)は、イスラームの開祖ムハンマドの娘で、アリー(第4代正統カリフ)の妻。ムハンマドの血を引く娘であること、シーア派イマームの祖となったことなどから、シーア派において非常に尊敬されている。また、ムハンマドの寵愛を受けたことから、イスラーム圏における理想の女性の象徴とみなされている[1]。イスラム教で最もポピュラーな女性の名前の1つである[2]。
概要 ファーティマ, 生誕 ...
ファーティマ | |
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ファーティマをあらわすカリグラフィ | |
生誕 |
606年または614年 ヒジャーズ マッカ |
死没 |
632年8月28日 不明 |
子供 | フサイン・イブン・アリー (イマーム), ハサン・イブン・アリー +3 |
親 |
ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ(父親) ハディージャ・ビント・フワイリド(母親) |
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ムハンマドの死後まもなく、ファーティマの死をめぐって論争が起こった。スンニ派は、ファーティマが父を失った悲しみで亡くなったとする。シーア派は、ファーティマは彼女の家への攻撃で負った負傷によって流産し、死亡したとする。そして新しくカリフとなったアブー・バクルはウマルに自身の権威を強化するよう命じたのだという[3]。 ファーティマとアリーはアブー・バクルのカリフ制を受け入れなかった。 二人は、ムハンマドが後継者としてアリーを選んだと主張した。 シーア派の伝承によると、アブー・バクルはガディール・フンムの出来事においてアリーに忠誠を誓った[4][5]。ファーティマは死後、秘かに埋葬され、正確な埋葬場所は不明である [6]。