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ランカスター(Avro 683 Lancaster )は、A・V・ロー社が開発し、イギリス空軍などで運用された四発戦略爆撃機。
アブロ ランカスター
名称の「ランカスター (Lancaster)」はランカシャー州のランカスター市に由来する。愛称は「ランク (Lanc)」。イギリス空軍が1942年に運用を開始し、スターリング、ハリファックスと共にイギリス空軍の爆撃機軍団 (Bomber Command) に配備され、カナダなど他の連合国でも使用された主力重爆。特にドイツに対する夜間の戦略爆撃で活躍した。
ランカスターの設計元はロールス・ロイス製ヴァルチャー エンジンを搭載した新世代の双発中型爆撃機のP.13/36であり、P.13/36はアブロ マンチェスターとして採用された。マンチェスターは低性能というわけではなかったものの、空中安定性の不足(主翼面積拡大および垂直安定板追加で解消した)や液冷V型「ケストレルエンジン」を双子型(X型)に配置したヴァルチャーエンジンのシリンダー焼損やベアリング破損および冷却不足による過熱などの不良に悩まされ、200機が生産されたが1942年には運用を停止してしまった[要出典]。
運用停止の背景には、バルチャーエンジンの信頼性不足はもとより、パイロットから作戦行動執行における不満(敵に撃墜される以前に、発動機故障で墜落したくないという反感)があった[要出典]。
アブロ社の設計主任であるロイ・チャドウィックは出力が高くてより信頼性のあるロールス・ロイス製マーリンエンジン4基を大型の翼に配置するマンチェスターの改良を開始していた。この機は、アブロ 683 マンチェスター IIIと名づけられたが、後にランカスターと命名され、1941年1月9日に最初の試験飛行を行い、前作マンチェスターから大きく発展したことが判明した。ランカスターはマンチェスターを原型に作り直され特に胴体中央部を延長したことにより、これまでにない広い爆弾倉を持ち、特徴的なグリーンハウス・コクピット(ガラス張りの温室に似た風防)、突出したタレット(機関銃を設置した旋回砲塔)、左右に突き出した尾翼など、マンチェスターの拡大改良型とはいえ、性能面ではさらなる拡充をみた機体となった。
戦時中、多数のランカスターはメトロポリタン・ヴィッカーズ社、アームストロング・ホイットワース社でも生産され、第二次世界大戦の後期にはバーミンガムにあったオースチン自動車ロングブリッジ工場でも生産された。
ロールス・ロイス製マーリンエンジンの量産不足と、液冷エンジンの銃撃による破損を考慮し、B.I開発と時期を同じくして、ブリストル製ハーキュリーズ6、ハーキュリーズ16のエンジンを搭載したランカスター Mk IIも生産開始に至ったが、マーリンエンジンの増産体勢完備により、わずか300機しか生産されず、ランカスター Mk IIIからマーリンエンジンを搭載したが、エンジン以外の部分はほとんど手は加えられていなかった。アブロ社のロウ、ニュートンヒース工場では3,030機が生産された。カナダのオンタリオ州マルトンにあるヴィクトリー・エアクラフトではランカスター Mk Xを始めとする派生型が製造され、Mk.Xは430機が生産された。それらはアメリカ合衆国のパッカード社で製造されたマーリンエンジンを搭載し、機体中央にある機銃砲塔を新設したことなどを除いて初期型と大差なかった。全てのランカスターは戦争期間を通じて生産が続けられた。1943年の時点で1機あたり£45,000-50,000ほどかかった[1]。
1942年から1945年にかけてランカスターは156,000回の作戦に従事し、合計で608,612トンの爆弾を投下した。作戦行動中に3,249機が失われ、100回以上の作戦に成功したランカスターは35機に過ぎなかった[要出典]。もっとも長く生き延びた機は、139回の任務を果たし、戦後の1947年にスクラップにされている[要出典]。
ランカスター最大の特徴は長さ10.05m(33 ft)の爆弾倉である。この大型爆弾倉によって最初に運搬された大型爆弾は1,800 kg(4,000 lb)爆弾「クッキー」であった。重要かつ堅牢な目標を攻撃対象としたB.1スペシャル号は爆弾倉の扉を改造し、長さ6.4m、5,448kgのトールボーイか長さ7.77m、9,979kgのグランドスラムなど地震爆弾を運搬できた[注釈 1]。
0.303インチ機関銃がランカスターの一般的装備で、後に50口径連装機関銃を機体上部と尾部の双方で使用できるようになった。プレストン・グリーンは腹部50口径機関銃の銃座に使用できた。そして、非公式ではあったが50口径機関銃も20mm機関砲も胴体に穴を空けて装備される機もあった。
大半のイギリス製ランカスターは、当時としては先進的な通信システムとして知られる1155型受信機と1154型送信機を装備していた。一方、カナダ製の機体と極東戦線向けの機体はアメリカ製の通信システムを装備していた。これらの通信システムは、無線通話やモールス符号通信だけでなく、無線誘導の機能も有していた。
ランカスターの戦果で最も有名なものは1943年、バーンズ・ウォーリスによって設計された特殊なドラムを使用する反跳爆弾(ダムバスター)を改造されたMk IIIに搭載し、「チャスタイズ作戦」と呼ばれるルール川のダム破壊作戦に成功した事である。。後に、この任務を元に映画『暁の出撃』が製作された。もう1つの有名な任務はトールボーイを搭載してドイツ海軍の戦艦「ティルピッツ」へ行った一連の攻撃(パラヴェーン作戦、オブヴィエイト作戦、カテキズム作戦)で、これらの任務も成功した。
1945年後半の日本(九州)に上陸するダウンフォール作戦では、爆撃機軍団から引き抜かれたランカスターが連邦爆撃機派遣団、タイガー・フォースの主力爆撃機として沖縄から出撃する予定であった。
ランカスターの派生型にランカスター IV、ランカスター Vがあり、後にリンカーンへと名称が変更された。これらはリンカーン B1、B2と呼ばれた。また、英国海外航空などで使用された「ランカストリアン」はランカスターを元に設計された民間用の旅客機であった。アブロ シャクルトンはランカスターの発展型で、1992年まで早期警戒任務にも従事した。
1946年にブリティッシュ・サウスアメリカン航空 (British South American Airways) が4機のランカスターを貨物機として使用する計画を立てた。これらの機体はリンカーンシャー州にあるブレースブリッジ・ヒース社によって改造されたが、実際に運用してみると経済的に効率が悪いことが判明し、1年で運用を中止した。
4機のランカスター IIIは、フライト・リフューイング社によって空中給油の技術開発を目的に2組の空中給油機と受油機として改造された。このうちの1機は1947年にロンドン・バミューダ間の3,355マイルを無着陸で飛行した。その後、2機の給油機は、もう1機のランカスターを改造した給油機とともに、ベルリン封鎖における空輸任務に使用され、延べ757回の給油任務を行った。
現存する機体のうち、機体が完全で公開されているものは世界中に12機あるが、これはイギリスの主要4発重爆撃機3種(スターリング、ハリファックス、ランカスター)の中では最も多い。このうち飛行可能な状態のものは2機あり、これらを実際に飛行させる際は綿密な整備の上で行われる。
型名 | 番号 | 機体写真 | 所在地 | 所有者 | 公開状況 | 状態 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
B Mk.I | R5868 7325M |
イギリス ロンドン | イギリス空軍博物館ロンドン館 | 公開 | 静態展示 | 愛称は「Q for Queen」のち「S for Sugar」。現存機の中で最も古い機体で、1942年にメトロポリタン=ヴィッカース社でマンチェスターとして注文されたものがランカスターとして製造された。6月29日からスキャプトン空軍基地の第83飛行隊に所属し、「Q for Queen」の愛称をつけられた。後に「S for Sugar」と愛称が変わり、ワディントン基地で作戦成功100回を達成した初の英空軍爆撃機となった。最終的には137回にわたる出撃に従事した。 | |
B Mk.I | W4783 A66-2 (RAAF) |
オーストラリア 首都特別地域 | オーストラリア戦争記念館 | 公開 | 静態展示 | 愛称は「G for George」。1942年にメトロポリタン=ヴィッカース社で製造され、ブリテン島に展開していた豪空軍第460飛行隊で運用されたもので、ドイツ上空への出撃回数は90回にのぼった。1944年に爆撃任務から退くと、A66-2の番号をあてがわれ戦時国債購買促進のためオーストラリアで宣伝興行をした。1945年9月24日の飛行を最後にフェアバーン基地に留め置かれ、1955年から現博物館で展示されている。1999年から2003年にかけて修復が行われた。 | |
B Mk.I | DV372 | イギリス ロンドン | ロンドン帝国戦争博物館 | 公開 | 静態展示 | ||
B Mk.I | PA474 | イギリス リンカーンシャー州 | バトル・オヴ・ブリテン記念飛行小隊 | 公開 | 飛行可能 | ||
B Mk.I | TW911 | アメリカ ワシントン州 | 飛行遺産空中戦・兵器博物館 | 公開 | 静態展示 | 1946年から8年間テストベッドとして使用された機体。1954年に解体されたが、機首部はリンカーンRF342号機の機首以外の部分に接合され、1962年まで飛行試験に使用された。後にその機体も解体されるが、機首部は再度切り離されて保管されたため現存する。 | |
B Mk.VII MR Mk.VII |
NX611 WU-15 (l'Aéro) |
イギリス リンカーンシャー州 | リンカーンシャー航空遺産センター | 公開 | 修復中 | 愛称は「Just Jane」。1945年4月にオースティン社で製造され、1952年4月から仏海軍航空隊で運用され、1962年にはニューカレドニア島ヌーメアに送られた。1964年に退役し民間団体などの所有となって、1970年6月26日に最終飛行を終えた。一時期はゲートガードともなり、ある兄弟が1983年9月に取得後第2エンジンを修復。現在は運用時の滑走路でタキシングを行うことがあり、飛行可能な状態へと修復されている途中でもある。 | |
B Mk.VII | NX622 WU-16 (l'Aéro) |
オーストラリア ウェスタンオーストラリア州 | 航空遺産博物館 | 公開 | 静態展示 | 英空軍で7時間飛行したあと、1951年に仏海軍向けの海上偵察機に改造される。1952年4月からフランス海軍航空隊で運用された22機のうちの1機で、1962年までヌーメアを拠点に使用された。4月にオーストラリア空軍協会に寄付され、1983年には協会運営の左記施設に移管され現在に至る。H2Sレーダーを積んでいたB.VIIで、レーダーは輸送技術博物館で保管されている。胴体中央砲塔は寄付時に無く、マーティンの250CEを製造して設置された。1944年12月18日に撃墜されたLL847号機の配色となっている。 | |
B Mk.VII | NX664 WU-21 (l'Aéro) |
フランス セーヌ=サン=ドニ県 | 航空宇宙博物館 | 非公開 | 修復中 | ||
B Mk.VII | NX665 WU-13 (l'Aéro) |
ニュージーランド オークランド地方 | 輸送技術博物館 | 公開 | 静態展示 | ||
B Mk.X | FM104 3305 |
カナダ ブリティッシュコロンビア州 | ブリティッシュコロンビア航空博物館 | 公開 | 修復中 | 1944年にトロント市のヴィクトリー社で製造された。翌年1月に英空軍に供与されるも使用されず、6月にはカナダに戻される。その後カナダ空軍で沿岸監視および捜索救難機に改造された。1964年にトロント市に寄付され、レイクショア・ドライブの台座に置かれた。1999年からトロント航空博物館に移され、長期間に渡ってFM118号機を使用して修復されていたが、スペースの関係で中断された。2018年からは現博物館に移されて修復が再開。 | |
B Mk.X | FM136 (3337) 31341 |
カナダ アルバータ州 | 格納庫飛行博物館 | 公開 | 静態展示 | 1945年にヴィクトリー社で製造された。第20のち第30の保守ユニットに所属していたため、前線へは出撃していない。アルバータ州ピアースの倉庫に戻されるが、海上偵察機に改修された後、ノヴァスコシア州グリーンウッドの第404飛行隊「バッファロー」で運用された。その後、BC州のコモックスにある第407飛行隊「ディーマン」に移送され、RX-136の側面記号をつけて1961年4月まで運用された。1962年4月にカルガリー空港ターミナルの南西入口の台座に取り付けられ、1992年4月に現博物館に移動された。2011年の夏に修復が終わった。 | |
B Mk.X | FM159 3360 |
カナダ アルバータ州 | カナダ爆撃軍団博物館 | 公開 | 静態展示 | ||
B Mk.X Mk.10P |
FM212 3413 |
カナダ オンタリオ州 | カナダ歴史航空機協会 | 非公開 | 修復中 | ヴィクトリー社で製造され、1946年9月25日にカナダ空軍へ就役。1964年に退役し、オンタリオ州のウィンザー市が買い取って1965年からジャクソン公園で展示されていた。しかし、定期的な修理に費用がかかり、2005年5月25日に撤去され、現在はその位置にスピットファイアとハリケーンのレプリカが置かれている。撤去後に飛行可能状態へと修復が開始され現在に至る。 | |
B Mk.X Mk.10MR |
FM213 3414 |
カナダ オンタリオ州 | カナダ軍用機遺産博物館 | 公開 | 飛行可能 | KB726号機の塗装がされている。 | |
B Mk.X Mk.10AR |
KB839 37140 |
写真 | カナダ ノヴァスコシア州 | グリーンウッド軍事航空博物館 | 公開 | 静態展示 | 旧塗装 |
B Mk.X Mk.10P Mk.10AR |
KB882 37183 |
カナダ オンタリオ州 | 国立カナダ空軍博物館 | 公開 | 修復中 | 2017年までエドマンストン空港に展示されていた。 | |
B MK.X Mk.10P |
KB889 37190 |
イギリス ケンブリッジシャー州 | ダックスフォード帝国戦争博物館 | 公開 | 静態展示 | ||
B Mk.X Mk.10S |
KB944 37245 |
カナダ オンタリオ州 | カナダ航空宇宙博物館 (オタワ) | 公開 | 静態展示 | ||
B Mk.X Mk.10AR |
KB976 | イギリス サリー州 | ブルックランズ博物館 | 公開 | 静態展示 | 1945年にヴィクトリー社で製造された。1952年頃にフェアリー社でMk.10ARに改修され、機首が伸びた。1964年7月4日に最後の飛行を行いRCAFから退役。様々な所有者を経て、現在は3箇所に分けられて所有されている。ブルックランズ博物館には胴体前部が、ファンタジー・オヴ・フライトにはKB944号機の機首部を取り付けられた胴体中央部と主翼が、サウスヨークシャー博物館には胴体尾部がそれぞれ所有されていると考えられている。 | |
アメリカ フロリダ州 | ファンタジー・オヴ・フライト | 非公開 | 保管中 | ||||
イギリス サウスヨークシャー州 | サウスヨークシャー航空機博物館 | 公開 | 静態展示 | ||||
B Mk.X | 2/149 | カナダ オンタリオ州 | カナダ航空宇宙博物館 (オタワ) | 公開 | 静態展示 | ||
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