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イラクの都市 ウィキペディアから
サーマッラー(سامراء Sāmarrāʾ)はサラーフッディーン県に属するイラクの都市。
サーマッラー سامراء | |
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位置 | |
サーマッラーの位置 | |
位置 | |
座標 : 北緯34度11分 東経43度52分 | |
行政 | |
国 | イラク |
県 | サラーフッディーン県 |
市 | サーマッラー |
人口 | |
人口 | (現在) |
市域 | 20万人 |
チグリス川に面しており、メソポタミア文明以来の歴史を持つ。
836年、アッバース朝の8代カリフであるムウタスィムは、マムルーク軍団とアッバース朝正規軍の対立を背景として[1]、即位3年ながら都をバグダードからサーマッラーに移した。それから892年までの約50年間サーマッラーはアッバース朝の都であり続け[2]、今日まで残るモスクとしては世界最大であるサーマッラーの大モスクが築かれるなど[3]、一定の繁栄を保った。しかし、東西貿易の幹線道路から外れていたことなどが影響してバグダードを超える都市機能を備えるまでには至らなかった[2]。
20世紀に入るとサーマッラーの発掘調査が行われるようになり、1911年にはヘルツフェルト (Ernst Herzfeld) 率いるドイツ調査団がサーマッラーの発掘をおこなった[4]。1965年にはイラク考古局のカッサール (Awad al-Kassar) のもとで大モスクやアッバース宮殿、アル=アーシク宮殿の修復が行われた[5]。
20世紀に、チグリス川の氾濫を防ぐダムが建設されると、洪水が減って人口が増加し、現在およそ20万人の人口を擁する[要出典]。
スンナ派が多数を占めているが[要出典]、シーア派の12代イマームであるムハンマド・アルムンタザルを祀る聖地であり[6]、スンナ派のバアス党を率いて一党独裁していたサッダーム・フセイン元大統領がイラク戦争に敗れて失脚すると、両派の間に緊張が引き起こされるようになった[要出典]。
サーマッラーは、ラグビーボールを大きくしたようなスイカの名産地として名高い[6]。
2007年に「都市遺跡サーマッラー」としてユネスコの世界遺産に登録された。イラクの情勢に鑑みて、登録と同時に「危機にさらされている世界遺産」リストにも加えられた。
主な建造物
この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
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