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ヘスペロルニス(学名:Hesperornis)は、後期白亜紀のカンパニアン期の前半にかけて生息した、ウ科に類似した水鳥の属。翼は退化していて尾と共に推進方向の調整に用いられ、推進力は後肢で生み出されていたと考えられている。遊泳能力が高い一方で陸上での活動は不得意であったとも推測されている。
ヘスペロルニス | |||||||||||||||||||||||||||
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H. regalis の復元骨格 | |||||||||||||||||||||||||||
分類 | |||||||||||||||||||||||||||
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タイプ種 | |||||||||||||||||||||||||||
Hesperornis regalis Marsh, 1872 | |||||||||||||||||||||||||||
シノニム | |||||||||||||||||||||||||||
種 | |||||||||||||||||||||||||||
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発見は化石鳥類の中では早い部類であり、19世紀の化石戦争の間にオスニエル・チャールズ・マーシュが発見した。化石は特にカナダの海成頁岩やアメリカ合衆国カンザス州の海成石灰岩層から産出している。9種が認められており、うち8種は北アメリカ大陸およびロシアから産出している。
ヘスペロルニスは最大で全長1.8メートルに達する大型の鳥類であった[1]。翼は極めて小型で、後肢推進型であった。後肢の研究から、当初はアビ属などの水鳥に見られるような水かきのある足ではなく、現生のカイツブリ科に似て指の分かれた足を有していたと考えられていた[2]。ヘスペロルニス目と現生の海鳥の形態を観察した後続研究により、この解釈には疑問が投げかけられ、ヘスペロルニス目の足はどちらの形態もあり得るとされた[3]。
小さな翼と平たい尾は推進力の源になっていたわけではないが、水中で推進方向を変更する際に舵としての役割を担ったと推測されている[4]。
イクチオルニスなどの他の多くの中生代の鳥類と同様に、ヘスペロルニスには嘴と歯が共に存在した。ヘスペロルニス目の系統において、他の既知の鳥類(あるいは非鳥類型獣脚類)と異なる様式で、歯はそれぞれの歯槽ではなく長軸方向の溝に収まっていた。これはモササウルス科と共通する[5][6]。ヘスペロルニスの歯は歯骨と上顎骨のほぼ全体に亘って存在した。前上顎骨と前歯骨には歯が存在せず、おそらくは嘴に覆われていた。骨の表面の研究からは、少なくとも両顎の先端には現生鳥類に見られるものと同様のケラチン質の硬い嘴が備わっていたことが示唆されている[7]。口蓋骨は顎を閉じた際に下顎の歯が収まることのできる小さな孔を有した[8]。また、下顎の骨の間には恐竜型の関節が残っていた。このため彼らは下顎の前部と後部を独立に回転していた[1]。
ヘスペロルニスの最初の標本は1871年[注 1]にオスニエル・チャールズ・マーシュにより発見された。当時マーシュは10人の学生と共に二回目の合衆国西部での発掘調査を行っていた[10]。マーシュが以前調査を行ったカンザス州に一行が向かったところ、飛翔性の爬虫類であるプテラノドンの化石が産出したのとは別に、彼は「最低でも高さ5フィートの大型化石鳥類」の骨格を発見した。頭部は存在しなかったものの、標本は大型で、翼がなく、脚が強靭であった。マーシュはこの標本が潜水性の種と考えた[11]。マーシュはこの化石を Hesperornis regalis と命名した[12]。属名は日本語に訳すと「西の鳥」を意味する[9]。
翌年にマーシュはより少人数の発掘チームで西部に向かった。カンザス州西部にて、マーシュの4人の学生のうちの1人であったトーマス・H・ラッセルがヘスペロルニスの「ほぼ完全な骨格」を発見した[13]。標本は十分な頭骨が保存されており、マーシュはその動物の顎に歯が並んでいることを確認できた[14]。彼は、ベンジャミン・マッジが発見した歯のある鳥イクチオルニスと共にこの発見が進化上重要な意味を持つと考え[15]、1873年に論文を発表した[14]。なお、彼とライバル関係にあったエドワード・ドリンカー・コープはマーシュに渡されるはずであったヘスペロルニスを含む化石の箱を偶然受け取ったことで関係がさらに悪化した。コープがヘスペロルニスについて「実に素晴らしい」とコメントした一方で、マーシュはコープが化石を窃盗したと非難の声を上げた[16]。1873年までに彼らの友人関係は敵対関係へ変容し、化石戦争に拍車が掛かった。1873年以降マーシュは滅多にフィールドに姿を現わさなかったが、収集家が彼に化石を送り続けたため、最終的にヘスペロルニス50標本を受け取った。これにより、彼は以前よりも強く爬虫類と鳥類の間の進化を証明できるようになった[17]。
ヘスペロルニス属には多くの種が記載されているが、いくつかの種は骨が非常に少なく、同様の大きさを持つ豊富(でかつ不完全)な分類群との正確な比較は不可能である。多くのケースでは、層序・産地・体サイズの相違によって種が区別されている。
最初に記載された種は Hesperornis regalis であった。本種は最も知られている種でもあり、断片的なものからより完全な骨格まで多くの標本が発見されている。全ての標本はニオブララ累層のスモーキー・ヒル・チョーク部層から産出している[18]。
本来は別属の Lestornis crassipes として命名する予定であったが、1876年にマーシュは新種 Hesperornis crassipes を命名した。本種は H. regalis よりも大型で、H. regalis が4本の肋骨を持つのに対して5本の肋骨を有した。また、後肢と胸骨の装飾にも差異が見受けられた。H. crassipes は H. regalis と同時に同じ場所から発見されており、不完全な一つの骨格が知られている。骨格には頭骨の一部や歯が含まれている[19]。
1876年にマーシュはニオブララ累層の H. regalis と同じ層準から発見された不完全な中足骨に H. gracilis と命名した。この標本はパラヘスペロルニス属の Parahesperornis alexi の分類の混乱に繋がった。P. alexi のタイプ標本は長らく H. gracilis と同種のものと考えられていたが、Lucas (1903) により別属として扱われた際に、誤って Hargeria gracilis として記載されてしまった。このミスは後に修正され、Hargeria はヘスペロルニスに戻り、そしてより特徴的な標本がパラヘスペロルニスに改名された[20][21]。
ニオブララ累層以外から報告された最初の種は、合衆国モンタナ州のジュディスリバー累層(あるいはシガレットシェール累層)から部分的な後肢が知られている Hesperornis altus であった。マーシュはヘスペロルニスがカンザス州にしか生息しておらずモンタナ州のものは別属にすべきであると考えており、この標本は新属 Coniornis に位置付けられた。後の研究者の奥はこれに同意せず、本種をヘスペロルニス属に分類している[22][23]。モンタナ州から報告された第二の種はシガレットシェール累層から記載された。単一の胴椎に基づいて1915年にShufeldtが H. montanaと命名した。H. altus との形質の比較は不可能であるが、推定される体サイズは H. montana の方が小型であるため独立した属と解釈された [24]。
1993年、北アメリカ以外から初めてヘスペロルニス属の化石が新種として報告された。NessovとYarkovはロシアのヴォルゴグラードの付近に分布する下部カンパニアン階から産出した断片骨格に Hesperornis rossicus と命名し、同時代の堆積物に由来する他の複数の標本も本種に分類されている。全長は約1.4メートルで、カナダのカナダガよりも僅かに小さい程度であり、ヘスペロルニス属では最大の種である[12]。大型の体サイズと地理的位置の相違点以外では、本種は平たい中足骨をはじめとする後肢や足の特徴で他の種と区別できる[25]。
2002年、これまでヘスペロルニス類と考えられていなかった化石について研究を行い、マーティンとリムが新種を発表した。命名された新種は非常に小型のH. mengeli や H. macdonaldi、僅かに大型の H. bairdi、非常に大型の H. chowi であった。そのどれもがサウスダコタ州やアルバータ州に分布するピエール頁岩累層のシャロンスプリングス部層から産出しており、年代は約8050万年前と見られている[26]。
さらに、SGU 3442 Ve02 and LO 9067t といった未分類の化石や、ロシアのロストフの未定種も存在する。前者の2つの標本はおそらく H. rossicus で、代わりに H. rossicus に属する標本のいくつかは後者の未同定の分類群に属すると見られている[27]。
2015年に、ヘスペロルニス類の種レベルでの系統解析の結果が発表された[28]。以下にそのクラドグラムを示す。
ヘスペロルニス類 |
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ヘスペロルニスは主に海棲で、西部内陸海路やツルガイ海峡や北極海といった当時の大陸棚の広がる浅海域に生息していた[27][29]。当時の環境は亜熱帯から熱帯の海水で、現在よりも温暖であった。しかし、既知の範囲内で最も新しいヘスペロルニスの標本はフォアモスト累層の内陸の淡水性堆積物中に発見されており、一時的にでも海から離れていた種がいたことが示唆されている。加えて、H. altus の化石はジュディスリバー累層の基底に位置する淡水性堆積物に由来する[30]。
四肢の長さや腰の骨の形状および寛骨臼の位置は現生のハシグロアビのものと特に類似しており、水中や陸上での移動様式も同様であったと推測されている。アビ属と同様に、ヘスペロルニスはおそらく優れた後肢推進型の潜水性鳥類であった一方、陸上の行動は不得手としていた[31]。また同様に脚は足首まで体の中に収納し、足は尾の近くで横に飛び出していたと推測される。そのため、脚を体の下にして立ったり、重心の下にして歩いたり、といった行動は不可能であったと見られている。代わりに、現在のアザラシのように、腹部で体を押して陸上を移動していたと推測されている[32]。しかし、ヘスペロルニス類の後肢に関するより新しい研究では、直立歩行するウ科の後肢との機能的類似性が指摘されている[33]。
若いヘスペロルニスの個体は現生鳥類と同様に急速かつ継続的に成長して成鳥になったと推測されている。これはエナンティオルニス類とは異なる成長パターンである[34]。
デイヴィッド・バーンハムらが1960年代に行った研究により、ヘスペロルニスの後肢にはドリコリンコプスまたはその近縁属と思われる若いポリコティルス科の首長竜による噛み跡が発見されている。この標本の顆からは感染の兆候が見られており、当該個体が脚を噛まれた後に逃れて生き延びたことが示唆されている[35]。また、この他にも海中ではティロサウルスをはじめとする[4]モササウルス科やサメ[35]、陸上では獣脚類の恐竜がヘスペロルニスを捕食していたと考えられている。巣は翼竜の被害に遭った可能性もある[9]。
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