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モーリン・タッカー(Maureen Tucker、1944年8月26日 - )は、アメリカ合衆国のミュージシャン。ロックバンド、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのドラマーとして知られる。
モーリン・タッカー Maureen Tucker | |
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1966年頃 | |
基本情報 | |
出生名 | Maureen Ann Tucker |
別名 | Moe Tucker |
生誕 | 1944年8月26日(80歳) |
出身地 | アメリカ合衆国 ニューヨーク・クイーンズ区ジャクソン・ハイツ |
ジャンル | エクスペリメンタル・ロック、プロト・パンク、ロックンロール、アート・ロック、アヴァンギャルド、フォークロック |
職業 | ドラマー、シンガーソングライター、歌手 |
担当楽器 | ドラム、パーカッション、ギター、ボーカル、ベース |
活動期間 | 1963年 - 2007年、2017年 |
共同作業者 | ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ハーフ・ジャパニーズ、ダニエル・ジョンストン、ジョナサン・リッチマン |
ニューヨーク・クイーンズ区ジャクソン・ハイツに生まれ、ニューヨーク州ナッソー郡レヴィットタウンで育つ。
タッカーは19歳でドラムを始めた。ヴェルヴェット・アンダーグラウンド(以後VUと略記することあり)への加入を打診されたとき、タッカーはIBMでキーパンチのオペレーターとして働いていた。VUのもともとのパーカッショニストはアンガス・マクリーズだったが、金を払って見に来る聴衆の前での演奏を嫌ったために1965年11月に脱退していた。タッカーに白羽の矢が立ったのは、VUのギタリスト、スターリング・モリソンが、大学時代の同僚の妹がドラムを叩いていたことを思い出したからである。
タッカーのスタイルはきわめて特徴的である。立って演奏することが多く、トムトム、スネア、上に向けられたバスドラムというシンプルなセットを用いる。スティックではなくマレット(打楽器用小槌)で演奏することが多い。またシンバルはほとんど使わない。
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドではドラム・パートのほかに、次の3曲でリードボーカルに加わっている。1969年のアルバム『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド』に収録されているアコースティックギターによる「アフター・アワーズ」(After Hours)、「殺人ミステリー」(The Murder Mystery)の一風変わった詩の朗読、および1969年に録音されたもののオフィシャルには1985年の『VU』(アルバム名)までリリースされなかった「アイム・スティッキング・ウィズ・ユー」(I'm Sticking with You)である。ルー・リードは「アフター・アワーズ」について、「とても無垢でピュア」な曲だから自分では歌えなかった、と語っている。初期には、タッカーはライブでベースを演奏することもあった。ベースの演奏が収録されている唯一の曲は1995年のボックス・セット『ピール・スローリー・アンド・シー』に収められた「メロディー・ラフター」(Melody Laughter)である。
1970年代はじめに最初の息子であるケリー・"トラッカー"・タッカー(Kerry "Trucker" Tucker)を妊娠した際、一時的にバンドを離れている。このため演奏できなかったが、例外的にルー・リード在籍時代のVUのラストを飾るアルバム『ローデッド』の数曲については参加している。ライブにおいてはベースのダグ・ユールの弟であるビリー・ユール(Billy Yule)が代役をつとめ、レコーディングではドラム・パートの大部分はダグ・ユールが担当した。1970年後半、バンドに復帰。この時点でルー・リードはVUから離脱しており、リーダーシップをとっていたのはダグ・ユールであった。
1970年および1971年にかけてのVUの北米・カナダ・欧州・英国・オランダを周るツアーに参加した後、子育てのためにバンドおよび音楽界から遠ざかったということである。
アリゾナ州フェニックスに住んでいた1980年代初期、サン・シティ・ガールズのアラン・ビショップ(Alan Bishop)と結成した短命のバンド「パリ1942」(Paris 1942)でドラムを演奏している[1]。
1984年にジョージア州ダグラスに移り、ウォルマート社で働きながら家族を養っていたが、1989年に仕事を辞めて友人たちのバンドであるハーフ・ジャパニーズに加わり、欧州ツアーを行っている[2]。
以後、レコーディングとツアー活動を再開し、小規模な独立レーベルから多くのアルバムをリリースしている。自身のバンドのフロント・パーソンとしてボーカル、ギターを担当しており、かつてのVUの仲間であるスターリング・モリソンも加わっていた時期がある。1992年から翌年にかけてのVUの再結成にも参加し、欧州ツアーおよび2枚組アルバム『ライブ1993』の制作に加わった。
自身のプロジェクトにくわえて、ゲストとして多くのレコーディングに参加しており、この中にはハーフ・ジャパニーズの1990年のアルバム『Fire in the Sky』がある。逆に同バンドのギタリスト、ジョン・スラジェット(John Sluggett)はタッカーのレコーディングでドラムを演奏している。ハーフ・ジャパニーズについてのジェフ・フォイヤージーク(Jeff Feuerzeig)によるドキュメンタリー映画『ハーフ・ジャパニーズ - いずれ王者になるバンド』には、タッカーの演奏と長時間にわたるインタビューが収録されている。またマグネット(Magnet)というバンドや、ルー・リード(アルバム『ニューヨーク』)、およびジョン・ケイル(アルバム『ウォーキング・オン・ローカスツ』)のレコーディングにも加わっている。
さらに、1999年にはエキセントリックな人物として知られるインディーズ・ミュージシャン兼小説家チャールズ・ダグラス(アレックス・マコーレーとしても知られる)のアルバム『The Lives of Charles Douglas』でドラムおよびプロデュースを担当した。
1999年から2003年にかけては、ロレット・ヴェルヴェット(Lorette Velvette)およびデイヴ・ソルジャー(Dave Soldier)とともにニューヨークおよびメンフィスで活動するパンクロック〜デルタ・ブルースのフュージョン・バンド「ザ・クロポトキンズ」(The Kropotkins、バンド名の由来はロシアの無政府主義者クロポトキン)にバスドラム、作曲、ボーカルで参加し、アルバム『Five Points Crawl』のレコーディングを行っている。
スタジオ・アルバム
ライブ・アルバム
コンピレーション・アルバム
† タッカーは1970年のオリジナルのアルバム『ローデッド』には参加していないが、1997年にライノ・レコードから2枚組で「Fully Loaded Edition」として再発されたヴァージョン(邦題『ローデッド〜スペシャル・ヴァージョン』)には1969年末および1970年初めのデモ音源が収録されており、それぞれ彼女のドラムとボーカルを収めた「アイ・ファウンド・ア・リーズン」(I Found a Reason)および「アイム・スティッキン・ウィズ・ユー」の別テイクが含まれている。
その他
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