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パリの名門高校 ウィキペディアから
リセ・ルイ=ル=グラン(仏: Lycée Louis-le-Grand、略称: LLG)は、フランスはパリにある、古い歴史をもつ公立の後期中等教育機関である。ルイ=ル=グラン高校、あるいはルイ=ル=グラン学院ないしルイ大王学院とも訳す。
ルイ=ル=グランは1563年、イエズス会によりパリ大学(ソルボンヌ大学)に附設する学寮(ないしカレッジ)の一つとして、パリの伝統的な学生街であるカルチエ・ラタンの中心に設立された。この地域にはパリ大学の他、コレージュ・ド・フランス等があり、歴史、建築、文化に富んだ、フランスで最も古い名門教育機関が集中する地域である。
後期中等教育課程を教えるリセとしては800人の生徒が在学しており、大学レベルのカリキュラムを教えるPSL研究大学と共同CPGE(グランゼコール準備級、Classes Préparatoires aux Grandes Écoles) には900人の生徒が学んでいる。バカロレアに加えてエコール・ポリテクニークやパリ高等師範学校などグランゼコールへの合格率の高さで名高い。ルイ=ル=グランの生徒はマニョリュドヴィスィヤン (magnoludoviciens) と呼ばれている。
ルイ=ル=グランはフランスのエリート教育に主導的な役割を果たしている。卒業生に無数の政治家や外交官、高位聖職者、アカデミー・フランセーズ会員、文学者などを輩出している。「このパリのイエズス会学校は」と、1862年にエリ・ド・ボーモンが書いている―「永きにわたり、偉人をはぐくむ国家機関でありつづけてきた」。
モリエール、ヴォルテール、ヴィクトル・ユゴーらの他、詩人でネグリチュード運動家のエメ・セゼールがこの学校から巣立ち、偉大な文学者となった。フランス大統領のジョルジュ・ポンピドゥー、 ヴァレリー・ジスカール・デスタン、ジャック・シラクやセネガル共和国初代大統領のレオポール=セダール・サンゴールなどがかつてこの学校で学んでいる。モンテネグロ王ニコラ1世などは留学生としてルイ=ル=グランで学んだ。
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