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鎌倉時代後期の公卿、歌人。従一位・関白。勅撰集『玉葉和歌集』以下に23首入集。一条家4代。藤氏長者 ウィキペディアから
一条 内経(いちじょう うちつね)は、鎌倉時代後期の公卿・歌人。内大臣・一条内実の子。官位は従一位・関白。一条家4代当主。号は芬陀利華院関白(ふんだりかいん かんぱく)。
正安元年(1301年)に元服して翌年に公卿に列する。嘉元2年(1304年)、父の急死によって14歳で一条家を継いだ。『玉葉和歌集』以下の勅撰和歌集や『文保御百首』・『続現葉集』などに採録される優れた歌人であったが、政治的な才には乏しかったという。
『増鏡』第十三「秋のみ山」には、文保2年(1318年)3月の後醍醐天皇即位時の行列で花山院家定と行列の序列を巡る争いが見える(この時の内経の官位は正二位行権大納言兼左大将)。文保3年(1319年)には従一位・関白・藤氏長者に昇った。
一条家の菩提所として東福寺に芬陀院(ふんだいん)を建立した。正中2年(1325年)、35歳で病死。法号は芬陀利華院。
群書類従には、弘安8年(1285年)亀山上皇から弘安礼節の編纂を命じられた担当者として花山院家定・二条資季と共に名前を挙げられているが、いずれも弘安8年当時に活躍していた人物ではないために疑問視されており、その編纂経緯に関しては不明である。
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