中原会戦
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この項目では、1941年の日本軍と中国軍の戦いについて説明しています。1930年の蒋介石と軍閥の戦いについては「中原大戦」をご覧ください。 |
中原会戦(ちゅうげんかいせん)は、日中戦争中の1941年(昭和16年)5月から6月の間、山西省南部で行われた日本軍と中国軍の戦闘である。北支那方面軍が中国第1戦区軍の包囲殲滅を狙い、大きな戦果を上げた。百号作戦とも呼ばれる。中国側の呼称は中条山戦役、または晋南会戦。
概要 中原会戦 (百号作戦), 交戦勢力 ...
中原会戦 (百号作戦) | |
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戦争:日中戦争 | |
年月日:1941年(昭和16年)5月7日 - 6月15日 | |
場所:山西省南部、河南省北部 | |
結果:日本軍の勝利 | |
交戦勢力 | |
大日本帝国 | 中華民国 |
指導者・指揮官 | |
多田駿 | 衛立煌 |
戦力 | |
6個師団 2個独立混成旅団 1個騎兵旅団 (約40,000人) |
26個師 (約180,000人) |
損害 | |
戦死:673人 負傷:2,292人 |
遺棄死体:約42,000人 捕虜:約35,000人 衛立煌報告:戦死傷者25,066人,行方不明者21,611人[4]。 |
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