Loading AI tools
ウィキペディアから
丸根 賛太郎(まるね さんたろう、1914年5月12日 - 1994年10月10日[1])は日本の映画監督である。
来栖重兵衛、宮元重兵、韮三哲、宮元四郎と数多くのペンネームを使い分けた[2]。
1914年5月12日、山口県下関市に生まれる。本名は赤祖父富雄[3]。京都帝国大学在学中より菅沼完二監督の助監督をしていて、その菅沼の紹介で1935年日活京都撮影所に助監督として入社。大学は中退した。1939年、『春秋一刀流』で監督昇進。この映画は戦時中のチャンバラ映画の傑作とされ、山中貞雄の再来と評される[4]。戦後は『狐の呉れた赤ん坊』『月の出の決闘』などで高い評価を得る。1959年の『高丸菊丸 疾風篇』が監督として最後で、以後はテレビドラマの脚本を執筆した[5][6]。
作中で登場人物が目的の場所へ向かう場面で多用される「○○(地名)へ!」という字幕をズームで表記する演出を得意とした。
2009年7月27日、チューリップテレビは『越中人譚 日本映画界をリードした富山人~河浦謙一 丸根賛太郎~』を放映し、丸根賛太郎の足跡を紹介した。
この節の加筆が望まれています。 |
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.